家紋とは「家の紋」であり、家の印として昔は家の調度などに使用され身近な存在であった。 いまでは、冠婚葬祭のときに目にするばかりである。とはいえ、神社や仏閣を訪ねると、 幕や本堂の瓦などに紋が据えられている。そして、それらの紋の由来を尋ねると、一味違った篠山の歴史が見えて くるのだ。

 
 
家紋は公家の文様として始まったが、やがて武家が旗印などに用いるようになって、おおいに広まった。 鎌倉時代、久下・足立・中沢・酒井氏らの関東御家人が地頭として来丹、ついで、南北朝時代から室町時代、 仁木・山名・細川氏らが丹波守護職に補任され、それぞれ多紀郡の中世史に足跡を残した。 戦国時代になると、新興の波多野氏が八上城に拠って丹波の戦国大名へ と成長した。そして、その滅亡をもって篠山は近世へと歩を踏み出したのである。

 
●多紀郡に関わる武将の家紋

山名氏の桐に笹紋 細川氏の二つ引両紋 細川氏の九曜紋
波多野氏の抜け十字紋 中沢氏の酢漿草紋 久下氏の一番紋  


いまも、旧多紀郡(篠山市)内を歩くと、ふと目にとまった家紋に、中世の名残が伝わっていることに気づかされる。
 




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