篠山の歴史・見処を訪ねる-味間奥


安泰山大国寺








篠山市西方の旧丹南町味間奥はひなびた風情の山里だが、集落を通る道は小峠を経て山南町の谷川、播磨の西脇に通じる古代よりの主要街道である。味間の南に聳える松尾山には高仙寺、入り口にあたる味間新には文保寺、そして大国寺など味間界隈には諸寺院が栄えていた。
大国寺は、遠く大化年間(645〜650)に法道仙人(空鉢仙人とも呼ばれる)が国家安泰を祈願して、 みずから作った薬師如来を安置し開創したという天台宗の古刹である。ちなみに高仙寺、文保寺も法道仙人の開創と伝えられ、味間の諸寺院は三岳を代表とする多紀郡山岳修験道の一翼を担ったものであろう。
その後、天暦の頃(947〜56)に兵火で焼失したが、正和年間(1312〜17)に花園天皇の帰依により再興され、安泰山大国寺の称号を賜った。本堂は室町時代初期に建てられたもので、和様と唐様(禅宗様)の折衷形式で昭和三十六年に国指定重要文化財となった。本堂に安置された仏像は、二体の大日如来坐像、阿弥陀如来坐像、持国天立像、増長天立像で、いずれも平安時代の作で大正十一年に国指定重要文化財となったものである。大日如来坐像のうち一体が本尊で、阿弥陀の印を結び、薬壺を抱いていることから薬師如来坐像として拝されてきた。脇仏の阿弥陀如来坐像は、波多野氏の菩提寺であった満願寺が廃寺となってのち移されたものである。
味間奥は丹波茶の産地としても知られるところで、大国寺のまわりも茶畑が広がっている。毎年、六月初旬に行われる「丹波茶まつり」には、イベントの一環として本堂の仏像群も公開される。大国寺境内は春には桜・石楠花、夏には槿、秋には燃えるような紅葉と紅白の山茶花が彩り、四季を通じて花が楽しめるお寺である。
・2008-05/18 →06/07 →11/24
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大国寺の紅葉を見る