阿部氏は、孝元天皇の第一皇子阿部大彦命を始祖としてまつり、古代大和飛鳥地方の安倍村で栄えた阿部氏の子孫が、三河に土着し、中世は代々額田郡に住したという。阿部忠正のとき、額田郡の桑子・小針に城を築く。忠正の子正宣は松平清康、広忠の二代に仕えた。その子正勝は、徳川家康に仕え大名阿部氏の初代となった。五代正邦のとき備後福山に十万石で封ぜられた。
二代正次、三代重次、七代正右、八代正倫、九代正精、十一代正弘が老中となっている。なかでも正弘は、二十七歳で老中首座に就任し、内憂外患の政局を担当した。分家の大名としては、正勝の次男忠吉よりおこった白河阿部家。重次の次男正春の子正鎮が上総・佐貫に封ぜられた佐貫阿部氏がある。 阿部家の定紋は、三家とも「違い鷹の羽」であるが、本家・分家を識別できるように、微妙な差異を見せている。福山阿部家は「丸に右重ね違い鷹の羽」、白河阿部家は「石持ち地抜き左重ね違い鷹の羽」、佐貫阿部家は「丸に左重ね違い鷹の羽」となる。替紋は福山阿部家と佐貫阿部家が「黒(石)餅」で、白河阿部家が「輪紋」を用いている。 ちなみに、鷹の羽紋は多くの武家に用いられ、大名と旗本で百二十家が用いている。また、黒(石)餅は石高の増加を、あるいは長寿のしるしとして、多くの大名の控紋として使用されている。
[資料:歴史読本432号] |