篠山の歴史・見処を訪ねる-大沢


島姫神社旧蹟





祠の隣には島姫神社旧蹟碑  境内の岩上には役の行者像が

JR篠山口駅東方の道路を北上してすぐの三叉路は大沢弁天交差点とよばれ、右折してすぐ右手の小丘に島姫神社旧蹟が祀られている。 むかし、大沢一帯は大きな沼沢地であったことから「大沼沢地」と呼ばれ、それがのちに大沢という地名になった。すでに、 平安時代中ごろの長保三年(1001)に仏性院領として大沢荘の名がみえている。水辺で生活する荘民らが、七福神の一人で水辺の守護神でもある 弁財天を島姫神社の名で祀り、除災・水航の安全を祈った。かくして、島姫神社あたりは大沢弁天とよばれるようになった。江戸時代のはじめ、 一帯は未だ約三十町歩の広さを有する池であった。それを大沢組の大庄屋杉本八右衛門が藩の許可を得て干拓に着手、 排水流路を穿って池の水を篠山川に落とし、一帯を美田とすることに成功したのである。
現在、島姫神(市杵島姫命)は大沢の八幡神社に合祀されている。往時、神社のあるところは弁天が鼻といわれ、また、 対岸の山上は灯台の役目をしていたことから「火ともし山」とよばれている。小さな祠の前に立って周囲を見回すと、かつて 池であったころの情景が浮かんでくるような気がしてくる。