篠山の歴史・見処を訪ねる-木津


住吉神社








篠山市において、旧篠山町域は春日神社が多く、今田地区では住吉神社が多い。これは、平安時代に今田のうち小野原・立杭・今田・四斗谷は摂津住吉大社の荘園になり、小野原荘と呼ばれたことによる。小野原の住吉神社は、小野原荘の氏神として鎌倉時代の文保年間(1317〜19)に住吉大社の分霊を勧請、創建された。それがのちに、黒石・本荘・市原・木津・上立杭に分祀されたことで、今田に住吉神社が広がったのである。当社は底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命(神功皇后)を祀り、黒石から分霊を請じたとき笠を霊代としたことから「笠の宮」とも称される。
木津住吉神社が鎮座する木津は篠山市の最西南に位置し、西に播磨国加東郡、南に摂津有馬郡に接する集落で、むかしより経済的、信仰的に加東郡との関係が深かった。丹波・摂津・播磨の接点でもあることから、住吉神社の後方にある丘陵上には木津城が築かれ、南麓には城主の館木津館があった。城主は在地土豪の小野原氏で、波多野氏の部将小野原右京勝政の一族小野原掃部であったと伝えられている。
木津住吉神社の秋祭には、裃に袴を着け、白足袋をはいた踊り子がビンザサラを持って舞う「田楽おどり」が奉納される。「おどり」に関する古文書はないが、天明四年(1784)の記録にみえており、二百年以上にわたって口伝えで継承されてきた貴重な民俗芸能である。また、正月には氏子が樒を持って豊作を願う「花振り」という行事も受け継がれている。