篠山の歴史・見処を訪ねる-芦原


瀬戸地蔵





滑りやすい石の道、崖下は黒石川の淵


昔と変わらない道には、微妙な懐かしさも…

篠山市街から姫路へ抜ける372号線の古市交差点を今田方面に右折、そして本庄交差点を左折してしばらく南下、峠を越えた左手に瀬戸地蔵の標識が見えてくる。地蔵さまは岩盤に彫られた舟形のくぼみの中に浮き彫りされた立像で、行基の作になるという。右手に錫杖、左手には宝珠、足元には蓮華座、衣のしわも明確に残っている。瀬戸とは狭く流れの速いところを言い、峠道ができる前は黒石川の断崖に沿った山道が街道であった。いまも地蔵さまのあるところは道が狭く、下方に黒石川の渕がみえる難所である。
伝説によれば、ある日、都に上る途中の行基が木津から芦原まで来たところ、数人の村人が黒石川の川岸に立ってお経を唱えていた。何事かと思った行基が近づいていくと、「絶壁から落ちて死んだ旅人を供養している」とのこと。さらに、「ここの淵には、川上から死んだ赤ん坊が流れ着いてくる」という。話を聞いた行基は「ここは危険なところなのですね、これからは悲しいことの起こらないように」と祈念して、絶壁にある岩の面にお地蔵さまを彫りこみ、交通の安全、ここで亡くなった人たちや赤ん坊のために供養とお祀りをしたのだという。
地蔵さまは室町時代の作といい、行基が彫ったというのは伝説に過ぎない。とはいえ、「難所が少しでも安全であれかし」と祈願した誰かの手によって、磨崖仏が彫られたことは間違いないことだろう。いまも、地蔵さまは東条川を見下ろす小径にそっとたたずみ、村人の手によって花が供えられている。