篠山の歴史・見処を訪ねる-味間奥


松尾山文保寺







左から真如院・大勝院・観明院の山門


幡、提灯など正月を祝う装いの二村神社

印度より来朝したという法道仙人(空鉢仙人)が、大化年間(645〜650)に聖備山長流寺を開創したのが始まりと伝えられる天台宗の古刹。その後、承平・天慶(931〜947)の兵乱によって荒廃したが、鎌倉時代後期の正和年間(1312) 、花園帝によって再興された。そして、文保年間(1317)に宝鏡寺門 跡一品親王より寺号「文保寺」の勅額を賜り松尾山文保寺と改ためた。 明智光秀による丹波攻めのときに焼失、ふたたび荒廃していたが江戸時代に再興された。全盛期には21ヶ坊を数える大寺院となったが、明治以降は真如院・大勝院・観明院の三ヶ院のみとなり、現在にいたっている。楼門は天正の乱で焼失したものを、天正末期頃に再建されたもので、なかなかの風格を漂わせている。境内にある二村神社は味間地区一帯の総社で、八上城主波多野氏の勅願所だったという。文保寺より松尾山に登る道が通じていて、法道仙人が開いたという高仙寺跡へと至る。