篠山の祭り


波々伯部神社の祇園祭


祇園祭は京都八坂神社の祭で、平安時代の貞観十一年(869)に始められたという。 猖獗する疫病を鎮めるために矛を立て、神輿三基を送り牛頭天王を祀り御霊会を行ったのが起こりと伝えられる。 波々伯部神社は、天徳二年(958)に八坂神社よりご分霊をうけたのが始まりといい、丹波の祇園さんとして 知られた神社である。京都の祇園祭は七月に行われるが、波々伯部神社では八月の第一土・日曜日に行われる。 八台の山車の宮入と神輿三基の渡御があり、二台の造り山(きうり山)で演じられる山の神事は、 平成十七年に無形民族文化財に選定された貴重な民俗芸能の資料である。



・宵宮の境内 ・祭礼当日、続々と山車が神社に集まる ・渡御に先立ち踊り子の修祓



・渡御役付による神前い大会謡奉納 ・猿田彦を先頭に御旅所への渡御が始まる ・見事な山車の渡御



・ズラリ並んだ山車の行進 ・御旅所入り ・突然の雨 ・御旅所から神社へ帰還



・ふたたび山車が勢揃い ・豪快に練り歩く御輿担ぎ ・山車が帰途に着く 
2009年の夏は、梅雨明けが遅く、子供たちが夏休みを迎えても突然の豪雨が襲うなど不安定な天候続きである。 今年の波々伯部神社の祭礼は、大雨・洪水警報の発令によって宵祭は無念の中止となってしまった。本祭も 警報が出た場合は中止せざるを得ないとのことで気を揉んだが、まずまずの天気のなかで例祭は賑々しく 行われた。八基の山車(曳山)が神社本殿前に参集、男たちの掛け声と子供たちの賑やかな囃子で 山車が境内を荒ぶる様子は勇壮そのものである。
山車八基が無事境内に参集したのち、本殿で神事が行われ、大歳森への渡御が始まる。 神職のお話によれば、大歳森には波々伯部神社祭神のいわゆる愛人がいらっしゃるとのことで、 年に一度のデートに行かれるのが渡御なのだそうだ。年に一回というのも切ない話だが、一回とはいえ愛人とのデートを 許す妻神の度量を誰かにみならってほしいと思う男性も多いのではなかろうか。 法螺貝の音を響かせながら猿田彦、獅子頭、踊り子たちが続き、さらにそのあとを山車が続いていく。青々とした田園の なかで繰り広げられる祭の次第は、何百年もの間、変わることなく続けられてきた。それを思うと、この 祭の素晴らしさがしみじみと実感されてくる。
例年行われる造り山(きうり山)は、人手不足もあって今年は中止となり、また、神輿三基の渡御も 行われなかった。生活様式の変化、少子高齢化の波は深刻なものがあるようだ。とはいえ、祭の最期を締めくくる 御輿担出しの荒ぶる姿を見ていると、まだまだ丹波の祇園さんは元気に満ち溢れている。 今年は宵祭が大雨で中止、造り山の見送りなど寂しいところもあったが、山車の参集、御旅所への渡御、御輿の担出し など見所は少なくなかった。来年は、造り山も出るとのことで、多くの人にこの祭を楽しんでほしいものである。
・神職の方に頂戴した縁起物の「藤と鯛」の絵、氏子の家々の玄関にも貼られる。 


【撮影:2009年8月1・2日】

→2007年の祇園祭