篠山の歴史・見処を訪ねる-76


福住の一里松








江戸時代のはじめ、二代将軍徳川秀忠が江戸日本橋を基点にして、東海・東山・北陸三道の一里ごとに道路の両側に塚を設けて、榎や松を植え里程と休息場とした。それにならって各藩でも江戸・京への距離を示す一里塚を作るようになった。篠山藩では大手門から京街道に沿って、一里ごとに土を盛り松を植えて道標とした。福住のものは、三里目の塚にあたるものだ。