篠山の歴史・見処を訪ねる-56


蟠龍庵





中央:鐘楼の屋根に青山氏の「無紋銭」紋


四季折々の花が境内を彩る

蟠龍庵は飛の山の東南山麓にある臨済宗の寺院で、大宝山と号し、ご本尊は釈迦牟尼如来立像である。寺は二代篠山藩主形原松平家の菩提寺であった光忠寺が前身で、 松平家が亀山に転封ののち篠山に入部した青山氏が菩提寺とし、蟠龍庵と改められた。
青山氏は徳川家譜代の大名で、家康の信任を得た初代忠成は、青山宿を与えられ、関東総奉行として敏腕をふるった。次の忠俊は将軍家光の養育役をつとめ、武蔵国岩槻四万五千石を領した。ところが、家光の勘気にふれ領地は収公され、以後、青山氏は不遇をかこった。寛永十一年(1634)、赦免を受けた子の宗俊は御書院番頭・大番頭をつとめ旗本三千石に復帰、正保五年(1648)には信濃国小諸二万七千石の大名に返り咲いた。さらに、大坂城代に任じられ、延宝六年(1678)、浜松五万石に転封されたのである。青山氏の再興を成し遂げた宗俊は、翌七年、七十六歳を一期として死去した。生前、宗俊は京都大徳寺の玉舟和尚について参禅していた関係から、菩提寺は大徳寺より祥山仁禎和尚を開山に招いて建立され、宗俊の法名にちなんで蟠龍庵と名づけられた。その後、青山氏は丹波国亀山に移され、さらに、忠朝の代の寛延元年(1748)に篠山へ国替となった。 蟠龍庵も青山氏の転封とともに、現在地へと移ってきたのである。
山門をくぐって境内を歩くと青山氏の定紋「無紋銭」が随所に見られ、禅寺らしいキリッとしたたたずまいが清清しい。境内駐車場の一角にあるセンダンの木は篠山の名木に指定されたもので、梅雨の開花時になると蟠龍庵に彩りを添える。また、後方の飛の山一帯には飛の山城址、三四郎稲荷、 諏訪神社などが散在、散策路も整備されて格好の散歩道となっている。


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かつて、山門の手前に樹高15メートル、幹周3メートルの見事な栴檀の大木があり、 丹波の森協会選定樹木の名木でもあった。この秋(2009)、久しぶりに訪ねてみると、なんと根元からバッサリと 切られて結果かも知れないが、一度切ればもうかつての姿を取り戻すことはできない。 播龍庵の景色もなにやら寂しくなったようで惜しまれる、なんとか残す方法はなかったのだろうか。

2008年9月14日 切り株だけの無残な姿となった栴檀
2009年11月21日