篠山の歴史・見処を訪ねる-49


歩兵第七十連隊跡





営門の横に植えられた枳殻、棘の痛々しさが軍隊を思わせる


跡地の工場奥に残るレンが造りの兵舎

歩兵第七十連隊は、明治四十一年に設置され、兵士たちは「丹波の鬼」の異名をとり、勇猛果敢なことで有名だった。昭和十五年、歩兵第百六十八連隊となり、さらに昭和十九年に中部第百十部隊が編成された。営門前の広い地域は、前方の小山まで当時の連兵場跡で、背後の盃ヶ岳とともに、激しい訓練の場となっていた。 敗戦まで延べ十万人を越える若者たちが営門をくぐり、戦場へと出征、その多くが帰らぬ人となった。いま、営門の前に立つて往時に思いを馳せると、平和のありがたさがしみじみと感じられてくる。敗戦後は、旧制兵庫県立医大予科、新制兵庫農科大学が設けられ、いまは、篠山産業高校と工場用地に姿を変えている。 (現地案内板より)