篠山の歴史・見処を訪ねる-30


神護山太寧寺








篠山市の北方、三岳修験の山として知られる三岳山の麓奥畑にある曹洞宗の古刹。丹波国守護職で、幕府管領職を勤めた細川氏ゆかりの寺院である。江戸時代には、十万石という高い寺格を与えられていた。
丹波国守護職を世襲した細川氏二代で幕府管領を務めた満元の弟満国は、将軍義持から丹波国畑荘の預所に任じられた。満国の死後、預所職を受け継いだ子の下野守持春は、嘉吉三年(1443)、父満国追善のため、摂津護国寺の惟忠守勤禅師を招いて寺を創建した。これが神護山太寧寺である。当代の傑僧といわれた竺山得仙の弟子であった惟忠守勤の禅風を慕って多くの僧が太寧寺に集まり、惟忠はそれら修行僧と随徒らとともにみずから土石を運んで堂宇の建設に従事、文安三年(1446)の秋、禅林にふさわしい伽藍が完成した。惟忠は「太(はなは)だ、寧(やすら)か」であるようにと「太寧寺」と名づけ、佐々婆神社の加護を願って神護山と号したという。のちに惟忠は、大本山総持寺七十一世の輪番となっている。
江戸時代の寛文十一年(1671)、初期の伽藍は焼失の憂き目にあったが、篠山藩主形原松平康信の尽力によって、延宝三年(1675)、諸堂の復興がなった。降って文化年間(1804〜18)、檀信徒の寄付金をもって、現今の本堂・庫裡が再建された。老杉の林立するなかの苔蒸した石段を登って境内に足を踏み入れると、本堂、禅堂、庫裡、鐘楼などが整然と並び、禅寺らしいキリッとした空気に充たされている。また、三代篠山城主松井松平忠国が植えたという「殿様椿」が季節になると見事な花をつけ、兵庫の巨木百選に選ばれた大タラヨウ(モチノキ)の大木も生育している。
*太寧寺の寺名は満国の謚名太寧寺殿に、神護山の山号は八幡大菩薩を請じて鎮守としたことによるともいわれる。