家紋探索は先祖探しから




1) 苗字と家紋がキーワード

 まずとっかかかりは、自分の苗字の由来を知ることから始まるようです。苗字は藤原氏や源平両氏ほかの姓氏の通称として、平安末期に起こり、中世以降の武士たちが土地を分封されるごとに発生し、その後の武士の興亡を経て各地に伝播していきました。また、明治維新の国民皆姓によって現代に至っているものです。いわば苗字そのものに。それぞれの家の歴史が秘められています。苗字の由来を探れば、そこからわが家のルーツが見えてくるはずです。
 苗字については、姓氏や苗字の辞典が役にたつもの。「姓氏家系大辞典」「新編家系大辞書」など数種類の辞典が出ていて、たいていの図書館にあるようです。また、地方の新聞社や郷土出版社の刊行物も地域独自の記事があって大いに役立つものです。
 苗字によっては、各地にたくさんの流れがあって、苗字辞典に記載のないものもあるようです。そこで、苗字よ同じ地名を調べて、発祥地を探すことが大きなポイントになってきます。発祥地周辺にある家紋も役に立ちます。墓石に刻まれている家紋をあたってみるのも、おおきな手がかりがあるかも知れません。


2) 苗字の発祥地を探そう

●たとえば、長野県の大和(owa)姓の場合
 大和の地は現在の諏訪市大和1丁目〜3丁目に残っています。中世・近世は大和村、あるいは大輪村とよばれていたそうです。大和姓はここが発祥地のようです。古代氏族系で、中世・近世には諏訪氏に属した大和氏もいたとのことです。

●たとえば、秋田県の高堂姓の場合
 高堂の地名を調べると、現在の富山市で江戸期に高堂村があったそうです。ここから近世初期の北前船の往来で秋田に行ったのでしょうか。富山県内には、江戸後期の豪農高堂家が存在していたようです。

●伊勢出身といわれる中森氏の場合
 中森姓を苗字辞典で調べると、伊勢国一志郡中森郷の発祥と出ています。しかし、旧村名はありません。そこで、城郭事典をみてみますと三重県一志郡美杉村太郎生に中森氏館祉の中森城が出ていました。これが中森一族の根拠地だったのではと想像されます。北畠氏の配下にも中森氏の名前があります。北畠氏の没落と運命をともにして伊勢を離れたのでしょうか。

●甲斐武田氏の家臣、小林氏の場合
 小林の地名は全国にあり、出身も多流にわたります。中世、鎌倉市に小林郷があり、桓武平氏三浦氏の支流がこの地を苗字にしています。すなわち、朝比奈義秀の重弘が小林二郎を名乗っています。彼が甲斐小林氏の遠祖ではないかと考えられます。

 このように、発祥地を知ることでさまざまなことが分かってきます。しかし、発祥地に一貫して居住した例は少ないようです。中世から近世にかけて、数多くの氏族の移動があり、諸氏とも発祥地を離れている事が多いようです。
 たとえば、福島県の大内氏は山口県の戦国大名大内氏の支流で、周防の国から大移動をしています。また、秋田県の中世・打腰(utte)村を発祥とする打腰氏の場合、徳川家の旗本となって江戸に行った者、また津軽藩士を経て大和郡山藩士となり奈良県に行った者などがあります。
 その一方で戦国時代の合戦に敗れて山中、あるいは近接地に潜み、帰農していった例もたくさんあります。そこで、発祥地は”近くを探せ”ともいわれます。
 地名調査は「日本地名総覧」、あるいは県別の「角川地名大事典」「日本歴史地名体系」が役にたつようです。


3) 電話帳で同姓の分布を探ってみる

 苗字辞典や地名辞典にのっていない苗字も少なからずあります。そんな場合は全国の電話帳を資料として、同姓分布図を作成してみる。そして、アンケート調査を行うという方法もあります。とくに少数姓の場合、効果があるようです。
 アンケートの内容は自分がルーツ調べを行っていることを説明しご協力願いたい旨を明記する。本文には、
 ●発祥地
 ●家紋
 ●菩提寺
 ●言い伝え
 ●本家・分家の関係
などを書き、礼を失しない十分なマナーが必要であることはいうまでもありません。 アンケートの実施によって、同姓の方同士での研究や、同族会に発展していくかもしれません。いまは分からなく なってしまったルーツを探すのですから、根気がなによりも必要です。


4) 戸籍をさかのぼる

 これまでの調査で古い時代の先祖のこと、今後の研究の進め方が見えてきました。しかし、それがただちに自分に直結するものでもありません。そこで、近い世代のことを戸籍による”さかのぼり式”で調べましょう。
 戸籍は戦後の改正で、古い部分の転写が省略されている場合があります。「改正原戸籍」を請求しましょう。戸籍を調べることで、暴末までは辿れるようです。仮に曾祖父から孫までとして五世代が判明するはず。そのほか親族全体の系譜的広まりも把握でき、現在は親類づきあいをしていない昔の「親類」も発見でき、女系の流れ、通婚圏も判明します。また、明治前期に見られた兵隊養子によって、苗字が変わったとか、戸籍調査で得るもの大きいものです。
 戸籍調査は、親族の協力を得て広範囲に収集できればより効果が増してきます。戸籍資料を整理して、 自家直系系図以外にも、親系統図(親族一覧表)をぜひ作成しておきたいものです。


5) さらに深く先祖探しをする

 江戸時代を通じ、一代でも二代で古くさかのぼって、先祖を知りたいと思うのは当然でしょう。江戸時代を探究するには、
 1) 資料調べ
 2) 先祖の居住地訪問
とがあります。
 その方法論は、先祖の身分・環境などで大きく異なってきます。近世の武士ならば旗本の「寛政重修諸家譜」をはじめ各藩の「分限帳(藩士名簿)」や藩士系図、奉公書などなどが、各地の文書館・図書館・市町村史編纂委員会などに保管されていることでしょう。  しかし、農民・町人の場合は資料が少ないのことが多いようです。そこで「過去帳」役立つことになります。死者の戒名、俗名、没年齢、没年月、当主との続柄が記され、寺の住職が書き継ぎ、その寺に保管されているものです。
 先祖の居住地を訪問したときは、まず菩提寺で過去帳の閲覧・転写をする。なお自家の過去帳があるとか、本家には江戸時代からの過去帳があるとか、寺院以外で発見できる資料もたくさんあります。
 寺院と檀家の関係は江戸初期の宗門改帳以来、密接になりました。過去帳も寛文年間(1661-73)以降の記載が多いようです。過去帳によっては、戒名と没年月のみで俗名がなく続柄の不明なものがあります。しかし。戒名のルールを知り、没年を整理して世代的に並べるなどの努力をすれば解明できることが多いようです。火災などで古い過去帳が失われている場合、宗派の本山とか村落内の別の寺院などで調査を進めることで解決できるかも知れません。
 菩提寺での現地調査に際しては、先祖の墓碑にも注意し、碑文の読み取りのほか墓石の配置や大きさからも、村内での家格、本家・分家の関係が理解できます。
 さらに、古文書以外にも祖父や父の兵隊手帳、葬儀帳、墓を購入したときの領収書、婚礼の招待客リストなど、家系資料になるものがたくさんあります。
 資料調べは身のまわりから。単にルーツや家紋を探すというだけではない、さまざまな発見、喜びがあるのが先祖・家紋探しではないでしょうか。



[資料:歴史と旅 第25巻第6号]

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