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若狭粟屋氏
花菱に扇
(清和源氏武田氏族安田氏流?)

 若狭守護で戦国大名の若狭武田氏家臣中、逸見氏と粟屋氏が双璧をなしていた。粟屋氏の出自は、清和源氏義光流武田氏族安田氏の後裔で、安芸に土着した粟屋氏の同族と思われるが、初期の系譜はもちろんのこと、戦国期における系譜も明かではないのである。

●若狭武田氏の重臣

 応仁の乱以前に、武田信賢の在京奉行人として重きをなした粟屋越中守がいた。そして、その跡を継いで、文明初年以降の約三十年間、同じく在京奉行人の地位にあって活動したのが右京亮(のち越中守)賢家であった。賢家はさきの越中守の子と推定され、粟屋氏の惣領家の当主は代々左京亮ついで越中守の官途を世襲したもと考えられる。
 延徳三年(1491)から翌四年にかけての室町将軍義材の近江六角攻めのさい、粟屋賢家が武田軍の先陣をつとめた。陣中で赤松政則が斯波義寛・武田元信を招待したとき、元信の伴衆として賢家と山県民部丞とが加わっており、賢家が元信側近の有力武将であったことをうかがわせる。賢家はまた、明応七年に明通寺と神宮寺の小島網場をめぐる早瀬・久々子両浦間の相論を裁許するなどしており、武田氏の領国支配機構のなかで枢要の地位を占めていたことも明かである。
 また、延徳二年から同四年当時、元信の側近に左衛門大夫国春がいた。かれは賢家の弟であろうと推定されている。
 賢家の没後、惣領家を継いだのは、後年に悦岑・笑鴎軒宗怡と称した人物と思われる。しかし、その実名はもとより行動を跡づける史料はほとんどない。とはいえ、永正五年(1508)十二月に元信が神宮寺に対して諸役を免除した袖判の奉書に、左京亮とともに連署している右京亮は悦岑のことと推定され、やはり奉行人を務めていたものと思われる。また、翌六年十月、三条西実隆に鮭・貝鮑などを贈った粟屋右京亮も彼であろう。
 賢家の子にもう一人左衛門尉親栄がいた。親栄は文亀元年五月以降に三条西実隆を師とし、極めて意欲的に古典文芸に親しんだことで知られる。永正元年四月、元信が隠居しようとして、自身と同様に子息の元光を補佐してくれるよう依頼したというから、元信・元光の二代にわたる側近の重臣として期待される人物であった。当然武将としても重きをなし、元信の丹後陣入には武田軍の主将として出陣したが、不利な戦況のなかで永正四年六月に討死した。

●戦乱を生きる

 親栄の子が勝春で、父と同じく三条西実隆のもとに出入りし、一方元光麾下の将として、大永七年十月に西の京、享禄三年十一月には勝軍地蔵、天文二(1533)年六月の天文法華の乱の際には京都妙顕寺など、各地に転戦して生死の間をくぐりぬけたが、同四年八月、ついに戦死をとげている。おそらく、丹後の戦陣においてであったろう。
 悦岑の子で勝春の従兄弟にあたるのが右京亮元隆である。惣領家を継承し、勝春とほぼ同時期に活動したが、元隆は武田氏の小浜代官として領国支配の中枢にあり、名田庄を本拠として大きな威勢を有した。そして、粟屋党の惣領として大永七年(1527)二月、川勝寺合戦を前にしての元光の京都進発には、かれが一門の周防守家長や掃部助らとともに約五百騎を率いて先陣にあった。このときは、大敗したが、下国したあとも同年十一月にはまた粟屋の同名ばかりで編成された八百から千人の軍を率いて上洛し、その武具の美麗さに都人は目を驚かせたと伝わる。その威勢のほどがうかがわれる。
 しかし、その後天文七年元隆は、主家武田氏に反乱を起こしている。そして、反乱後の元隆の動向は詳らかではないが、同十一年三月、木沢長政が三好範長・畠山稙長らと戦って敗死した河内太平寺の合戦で、長政に合力して子の孫三郎や一族の修理亮らとともに討死した右京亮は元隆のことと思われる。
 これより約二十年後の永禄年間(1560ごろ)、武田義統から離反し、三方郡佐柿の国吉城に籠っていく度も朝倉氏の攻撃に抵抗し、若狭が織田信長の支配下に入ると、その下で若狭衆の主要メンバーとして活動した越中守勝久がおり、元隆亡きあとの粟屋惣領家の継承者であったと思われるが、両者の関係は明瞭ではない。
 以上の粟屋氏以外にも若狭武田家中にあって粟屋一族の名前は、諸史料に散見する。粟屋一族が武田氏のなかで占めた地位が非常に大きかったことが知られるのである。また、室町時代中期義政の時代に成立した『見聞諸家紋』を見ると、粟屋氏の紋として「花菱に扇」が収録されている。おそらく花菱は武田氏から下賜されたものだろう。これから粟屋氏が、室町中期にはすでに名が知れ武田氏に従って在京していたことがうかがわれる。

【資料:福井県の歴史】


■参考略系図
 
  



戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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