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鷹の羽紋
鷹は古来から武人の象徴とされていた。
肥後菊池氏は阿蘇神社の神紋である鷹の羽を家紋としたようだ。

違い鷹の羽

丸に一つ鷹の羽

並び鷹の羽
 鷹の羽は、古来武人の象徴とされてきた。たとえば元日の節会や御即位の式などには、左右近衛の両陣に鷹の羽を掲げたといわれる。中国においては、武人は冠に鷹の羽をさすことが慣わしともされていた。鷹は俊敏で、その姿は数いる鳥のなかでも群を抜いて誇りに満ちた姿であったことから、武士の間で尊ばれた。
 また、古くより鷹狩りがスポーツとして行われ、それは武を練ることにも通じ、戦国時代では武将のたしなみの一つともされていた。このように、鷹は武士を表すものとして、紋にも取り入れられたようだ。
 「蒙古襲来絵詞」と呼ばれる絵巻が伝わっている。これは文永・弘安の役に活躍した肥後の武士、竹崎季長の戦功を描いた絵巻物で、当時の風俗、武具、旗印、家紋などが、ありし日の姿のままに見られる重要な資料である。この中に、菊池次郎武房が「二枚並び鷹の羽」をかかげて異国の敵に立ち向かっている。これが、もっとも古い鷹の羽紋の記録で、かまくら時代から用いられていたことが知られるのである。
 菊池氏は、肥後国菊池郡に住んでいた大宰少監藤原則隆から起こっている。九世紀から十一世紀の前半にかけて宗家が有力府官として活躍したとされる。そして菊池氏は阿蘇神社の氏子で、阿蘇神社の神紋である「鷹の羽」を紋として用いたようだ。もちろん、阿蘇神社の神官である阿蘇氏も鷹の羽紋を用いていた。
 こうして、鷹の羽紋は菊池氏・阿蘇氏の一族をはじめとして、武士の間に広まっていったようである。徳川氏に仕えた、西郷氏も菊池氏の一族を称し、鷹の羽紋を使用した。

●見聞諸家紋に見える鷹の羽紋

町野氏の欄干丸に鷹の羽

美馬氏の抱き鷹の羽に二つ引両
 鷹の羽紋で有名なのは、浅野氏である。浅野氏は美濃の土岐氏の一族を称しており、本来は桔梗紋であったと想像される。とはいえ、鷹の羽紋を用い、浅野一族はすべて同紋であった。支流で播州赤穂の城主であった内匠頭長矩が、江戸城内松の廊下で、高家筆頭の吉良上野介に刃傷をはたらいたことから、その身は切腹、家は断絶となった。そして、残された家臣が大石内蔵介を中心として、主君長矩の無念を果たしたことは、「忠臣蔵」として世に知られるところである。
 映画や舞台にも取り上げられ、それらのなかで、内匠頭の大紋に据えられた「鷹の羽」紋を知っている人も多いのではないだろうか。



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