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松 紋 松は長寿のシンボルとして古代から尊ばれ、祥的意義から紋になった。 讃岐の綾氏一族、福家・飯田・羽床・香西の諸氏が松紋を用いた。 |
![]() 三階松 |
![]() 枝付き三階松 |
![]() 松に三日月 |
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松はその変わらぬ緑から長寿のシンボルとして尊ばれた。また、その毅然とした姿から百木の長ともされた。たしかに、松は華やかな感じはないが、毅然とした大樹の姿には威厳がある。古くから祖霊の宿る木として、門松などに用いられてきた。 松の字を分解すると「十八の公」となる。これは十八年待って、公=大臣になった人の話が中国にある。松は時を待って隠忍し、チャンスがくれば目的を達する訓えにもなった。松が家紋に採用されたのも、このようなめでたい木だからだろう。 讃岐の国は早麦から転化したといわれ、松の木が多い土地柄としても知られる。この地に、保安元年に讃岐の国司となった藤原家成が下向し、古代豪族である綾大領貞宣の娘との間に生まれた章隆をもうけた。以後、藤原姓綾氏の一族が讃岐に広がった。 寒川、福家、飯田、羽床、新居などの諸氏で、かれらは分け与えられた土地の名を名乗り、それぞれの地に生えた松を家も紋としたことから、讃岐は松紋の天下となった。「見聞緒家紋」には、出雲の松田氏と並んで、さきの諸氏のさまざまな松紋を見ることができる。
三階松は、甲斐国の古くからの豪族であった三枝氏の家紋として知られる。しかし、三枝氏の場合は「三つ霊芝」が本来の紋であったようで、その意匠が松に似ているところから、いつしか三階松になったものらしい。 また、松紋の使用家としては天野氏が有名だ。天野氏は藤原南家工藤氏の一族で、代々伊豆国天野郷に住して天野氏と称した。景光の子・遠景に至っておおいに名があがった。遠景の子政景は承久の乱に戦功があり、長門国の守護職に補任され、また遠江国山香荘の地頭職も得ている。そして父譲りのものを入れると。その所領は明確なところで武蔵・上野・遠江・美濃・河内・安芸・長門の各国に及んでいた。当然、それらの地に松紋も広がっていった。 天野氏では、徳川家康に仕えた康景が知られている。駿河興国寺城主として大名となったが、部下が盗賊を働いた天領の民を斬ったことから駿河代官井出正次と確執し、ついに部下をかばって城と大名という身分を棄てた話は有名である。この天野氏の家紋は三階松に三日月を添えているのが特長的である。 ところで、北野天満宮の神紋が「松」紋である。天神さまの神紋は、「梅ではないの?」との疑問が生じるところだ。それは、北野の地が菅公の霊が大宰府から帰る前に一夜にして千本の松が生えたという有名な地であって、それに因んで「松」を神紋にしたのだと伝えている。 |
