笠 紋
天と地を結ぶ高い柱(ハシ)は、神の降臨を願う聖域の目印となった。
ここから高橋の名字が生まれ、同氏の代表紋となった。


並び笠(柳生笠)

三つ笠

竹に笠

 古代、高い柱(ハシ)を立てて、神の降臨を願う聖域の目印とした。また、柱の替わりに竹も用いる場合もあった。神殿の階(キザハシ)なども同じ意味である。こうして、高橋は氏子たちにとって神聖な宮代となり、意義深いことばとなった。そして、高橋の名字が生まれた。社家の高橋氏には、越後の弥彦大宮司家をはじめ、各地の八幡社や山王社などの神職に就いており、とくに北関東・東北に多い。
 高橋氏は、全国で百万人以上を数える大姓であり、高橋氏には二つの系統がある。まず孝元天皇の皇孫大稲輿命の子磐鹿六雁命の流れ。この命は景行天皇に新鮮な蛤のナマス料理を差し上げた。天皇はいたく喜ばれ、膳の姓を賜った。この子孫膳臣の支流が高橋氏を名乗った。
 その後、朝廷の食膳を司る家柄として、本家の膳臣をしのぐ勢力となり、高橋朝臣を賜姓された。もう一つが大和国添上郡「高橋神社」の所在地高橋邑から出た物部氏の流れだ。これは地名からきている。この地名は神社に関係が深い。
 この高橋氏の代表紋の一つが笠である。古代、食を盛る器は柏が使われていたことから、柏紋も用いている。また、先に記した竹を立てることから、竹・笹紋を用いることも多い。そして、笠は竹を立てるを文字にすれば笠になることからきた。まさにタカハシである。
おん祭  笠紋では、剣豪一族である柳生氏の二枚笠が知られる。この紋はもともと坂崎出羽守の紋であったものを、宗矩が出羽守から譲られたものである。
 坂崎出羽守は、家康が徳川氏を滅ぼした大坂の陣で秀頼の室で家康の孫・千姫を救出したことで有名だ。このとき、千姫を救ったものに千姫をやるとの約束を反故にされた出羽守は、家康に対して「武士の二言」として反乱を企てたという。これに慌てた家康は柳生宗矩を出羽守のもとに使わし、説得にあたらせた。結果、出羽守は宗矩の説得を容れて切腹したが、そのとき、宗矩に「二枚笠」の紋を贈ったと伝える。
 坂崎氏は備前の戦国大名宇喜多氏の一族で、猛将としても知られていた。宇喜多秀家のとき、お家騒動があり、宇喜多氏を去って徳川氏に仕えて姓を坂崎に改めたものである。当然、本来は宇喜多氏の紋である「酢漿草」であったと思われるが、関ヶ原で家康に対抗した宇喜多を憚って紋も変えたものであろう。

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写真:春日神社若宮おん祭のお渡りにて




どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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