安政の将軍継嗣問題

幕府政治のオープン化
 江戸幕府の政治は、創業当初から徳川家の家政という側面をもっていた。つまり、譜代大名とよばれ、ずっと古くから徳川に仕えた戦国時代の徳川家の重臣が幕府政治を担当していたのだ。親藩・家門といえども幕政への口出しは許されなかった。まして、外様大名が幕政に参画することはありえないことであった。しかし、このような閉鎖的なシステムでは、幕末の多難な時代を乗り切ることがとうてい不可能な事態となってきた。
 そこで、ペリー来航時の老中首座阿部正弘は開かれた幕政への転換を図ろうと努めた。これは、譜代も親藩も外様も区別のない、能力のある大名なら国政に参与させようという構想であったようだ。この構想には親藩の水戸斉昭、家門の松平慶永(春嶽)外様の薩摩藩主島津斉彬、伊予宇和島藩主伊達宗城ら支持者も少なくなかった。
 このような幕政改革が営まれようとしているとき、連動するような形で発生したのが「安政の将軍継嗣問題」という、将軍家の御家騒動だった。

「南紀派」と「一橋派」
 ことの発端は、十二代将軍家慶の病死後十三代将軍家定にあった。家定は挙措動作が常人と異なり、口も満足にきけないありさまで、将軍としてはふさわしくない人物であった。しかも病弱で、跡継ぎをもうけられそうにもない。これが泰平の時代であれば問題とはされなかっただろう。しかし、家定の将軍就任と時を同じくして、ペリー艦隊が浦賀に来航し、時局はとたんに険しさを増してしまった。
 このような時期に、家定の将軍としての頼りなさはいかんともしがたかった。しかし、将軍の首をすげかえることはできない。そこで家定を補佐するに足る有能な継嗣をたてることが緊急の政治課題として浮上したのが「安政の将軍継嗣問題」だ。
 将軍に実子のない場合、御三家、御三卿の当主のなかから適当な人物を選び将軍継嗣とするのが慣例であった。そこに二人の適当な候補者がいた。一人は紀州藩主徳川慶福であり、もう一人が一橋慶喜。そして、どちらを支持するかで二大派閥が形成され、慶福支持派は「南紀派」、慶喜支持派は「一橋派」と呼ばれ幕政を二分する大政争へと発展していった。

幕政を二分する大政争
血縁的には家定の従弟で8 歳の慶福、能力本位に立てば英名といわれる17歳の慶喜。そんなおり幕府の権威の低下を憂える、福井32万石の藩主松平慶永(春嶽)が慶喜を支持し、大名のあいだに有志を募った。彼に同意したのは島津斉彬、伊達宗城、土佐藩主山内豊信(容堂)、水戸斉昭であった。老中阿部正弘もひそかな応援を惜しまなかった。
 それに対し、南紀派では井伊直弼がリーダーシップを握り、譜代大名のグループと大奥を味方として対抗していた。開かれた幕政を唱える一橋派、幕府の独裁を固めようとする南紀派。いいかえれば開明の一橋派、守旧の南紀派と、政局は二大派閥があい争う状態となってしまった。

井伊直弼、大老の座に
 将軍継嗣問題が過熱の度を帯びはじめた安政4年老中阿部正弘が病死。一橋派は少なからぬ打撃を受ける。そんななかで、松平慶永(春嶽)の懐刀とよばれた福井藩士橋本左内、が一橋派のために東奔西走。将軍継嗣は英傑・人望・年長---の三条件を揃えた人物が望ましいとする、朝廷の内意を受けるところまでもっていった。左内はこのおり、一橋派の勝利を確信したことだろう。
 しかし、幕府に伝えられた勅書には、どこを探しても先の三条件は書かれていなかった。南紀派に抱き込まれた関白九条尚忠が朝議の決定を無視して、独断で三条件を削ったのだった。これで将軍継嗣問題は振り出しに戻ってしまった。
 さらに南紀派から、一橋派が将軍の廃立を企てていると吹き込まれた家定は、井伊直弼の大老就任を発令した。ここに、井伊直弼は現将軍を背に、幕閣最高の地位に就き、いわば井伊直弼の独裁体制がなったのである。

安政の大獄
 直弼は大老に就任すると、すべての案件を独裁。通商条約の無勅許調印の断行、一橋派の老中堀田正睦の罷免、さらには将軍継嗣を慶福に決定した。
 そして、将軍継嗣問題に勝利した直弼は、さらに立場を強固にすべく水戸斉昭に急度慎、春嶽と尾張藩主徳川慶勝に隠居、急度慎、一橋慶喜と水戸藩主徳川慶篤は登城禁止。と一橋派に処分を加えた。それだけでは満足せず、一橋派や尊攘派の志士の弾圧に乗り出した。世にいう「安政の大獄」である。左内も1年近く拘留されたのち死罪に処された、26歳。しかし、この安政の大獄は、かえって幕府の命運を縮めることになった。
 「安政の将軍継嗣問題」は、まったく反幕的な要素を含むものではなかった。両派ともに、その主張は外圧を前にして弱体化した幕府をいかに強化できるかというところにあった。だが直弼の対応はそのような幕府回生の芽を摘みとってしまっただけだったといえる。ちなみに幕府が滅亡したのは、安政の大獄の開始から十年後のことだった、というのも歴史の皮肉なんでしょうね。


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