篠山の祭り


池尻神社の人形狂言

2008

池尻神社の人形浄瑠璃は、江戸時代中期の宝暦三年(1753)に当時の徳永村の庄屋であった中沢伝左衛門が 「神変応護桜」と題した章詞を書き下ろし、翌宝暦四年の池尻神社祭礼に遷座百年を記念して明神講の手で 奉納されたのが始まりと伝えられている。 神輿が急な石段を登りきり、境内を練り歩いたのちに、「神変応護桜」の始まりが告げられる。



・本番前点描、飾り終わった御輿、浄瑠璃の舞台



・急石段を上る勇壮な宮入、境内を練る御輿



・祭礼のハイライト、人形浄瑠璃「神変応護桜」の熱演

「神変応護桜」の物語は、神社に立ち寄った若者の八重垣が、大蛇を退治して、人身御供の稲田姫を救うという ものだ。使用される人形は禰宜、八重垣、稲田姫、じじ、ばばの五体で、他に大蛇が用いられる。 人形は胴串の角度から一人使い系統のもので、古浄瑠璃から文楽人形に移る過渡期の様相を留める貴重なものだ。 舞台は桜が描かれた幕を張っただけの簡素なもので、お囃子は拍子木と太鼓だけである。
足を高くあげた禰宜がが舞台を行ったり来たりして謡曲調の謡が始まり、ついで稲田姫が登場、 狂言調の語りとなる。続いて大蛇が姫をうかがいまわる。姫が入り、じじ、ばばが出てくると浄瑠璃調となり、 最後の八重垣の大蛇退治の段にはふたたび謡曲調に変わる。場面によって調子が変わるという変化に富んだ内容で、 相当の技術が求められるものである。池尻神社の人形浄瑠璃に使われる頭五体は、昭和四十一年に 県の有形民俗文化財に指定された。また、「人形狂言保存会」が組織され、後世に伝えるべき有形、 無形の文化財として保存継承に努められている。

【撮影:2008年10月12日】