近江米原、太尾山界隈を歩く


米原は中山道と北国街道の分岐点として発展、北国街道米原宿として 栄えたところだ。旧坂田郡米原町であったが、伊吹町・近江町・山東町と 合併して米原市に生まれ変わった。面白いのは、旧町時代は「まいはら」と読み、 市制になってからは「まいばら」と読むようになったことだ。 米原の町東方にある太尾山山上には中世の山城である太尾山城址があり、 戦国時代には京極氏、佐々木六角氏、浅井氏、さらに織田信長を登場人物とする 戦乱の舞台となった。 そして、佐々木京極氏が建立した青岸寺、太尾山城の守護神として敬われた 湯谷神社など見所も多い。古い宿場町の雰囲気を味わいながら、中世の歴史に 浸る、それが米原の町の楽しみ方といえそうだ。


 


米原駅を出て中山道(国道8号線)を横断、旧米原小学校校舎すぐのところにある案内板で今回の目的地をザッと確認する。 太尾山一帯は散策コースとして整備されており、 青岸寺から湯谷神社を経て太尾山上の戦国山城を目指すという順番でを歩くことに決定。 最初に訪れた青岸寺は、南北朝時代に江北を支配した京極高氏(道誉)が建立した古刹だ。戦国時代の兵火で 焼失してしまったが、江戸時代、彦根藩主井伊家によって再建されたという境内に置かれた古瓦、 本堂や山門の屋根瓦を見ると京極氏の家紋「四つ目結」が刻まれている。小さなお寺だが、禅宗らしい キリッとした空気が漂うところだ。
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●観光案内板 ●案内板と太尾山 ●青岸寺山門 ●境内に置かれた古瓦に目結紋




湯谷神社は大己貴命を祀り、 社名の名の由来は、社伝によれば出雲国の人が諸国巡業の途中、この地に立ち寄り、土地の人に地面を掘らせたところ 温泉が湧き出したことから「湯谷」と呼ばれるようになったという。 平安時代の末期、米原が日吉大社の社領であったことから山王権現社と呼ばれる時期もあった。戦国時代、 太尾山に京極氏の支城が築かれるとその守護神となり、城主の米原氏も氏神として崇敬し、 社殿修築や社領の寄進を行った。毎年、十月に行われる曳山祭は、「山を見るなら長浜、芸を見るなら米原」などと いわれて有名なものだ。
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●本堂・山門の瓦にも目結紋 ●湯谷神社の社額 ●湯谷神社本殿




太尾山山上に築かれた太尾山城は、堀切を境として北城と南城に主郭を持つ「別城一郭」と呼ばれる縄張で知られる。 京極氏の家臣米原氏が城主であったが、戦国時代になると江北と江南、さらに近江と美濃との「境目の城」として 否応なく合戦の舞台となった。山上には堀切をはじめ、曲輪、土塁などが残り、北城の主郭からは琵琶湖をはじめ 湖北・湖東、さらに湖西まで見渡せる一大パノラマが堪能できる。
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●湯谷神社の神紋「六つ槌」 ●太尾城址の堀切 ●城址から米原市街を見る ●米原駅から見た城址