藤原氏三代の栄華をとどめる平泉を散策する。



平泉の代名詞ともいえる中尊寺-金色堂への道。
 
中尊寺

 
平泉は、奥州の王と呼ばれ栄華を極めた藤原氏三代がその財をつぎこんで現出した都であった。清衡に始まり、基衡、秀衡と続き、秀衡は源義経を匿ったことで知られている。しかし、泰衡のときに、源頼朝の圧迫に耐えかねて、義経を討った。そして、それが奥州藤原氏滅亡の晩鐘でまった。訪れたときは、まさに紅葉真っ盛りのとき、かつての栄華も角谷と偲ばれるものがあった。
●中尊寺本堂 ●中尊寺の寺紋 ●境内の土産物屋に三つ引両紋が


毛越寺


 
中尊寺から歩くことしばし、毛越寺に辿りつける。毛越寺も藤原氏の建立になる寺で、かつては壮大な伽藍を誇ったといわれるが、いま、それを偲ばせるのは境内に苔むした礎石のみであった。しかし、境内をそぞろ歩くと、かつてあった壮大な伽藍の姿が彷佛としてくる、荘厳な気配を感じられた。訪れた日は藤原まつりにあたっていて、境内に「めんこいテレビ」が取材にきていたのも、東北らしいヒトコマであった。
●毛越寺の寺紋 ●毛越寺の本堂  ●末寺で見つけた抱き茗荷紋