丹波国-大原神社




大原神社に参詣することを「大原志」といい俳句の季語となり、近松門左衛門の浄瑠璃にも採り上げられた。


大原神社
 
●参道の石段 ●大鳥居 ●豪快な造りの拝殿 ●飛瀧奉社と摂社群

 
●火之神神社 ●絵馬伝 ●稲荷社などの摂社群 ●宝物殿に据えられた神紋

 
●水門神社 ●御旅所の大杉 ●川向の産屋 ●産屋の内部 ●神社前の淵
 
社伝によれば、第五十五代文徳天皇の御世、仁寿二年(852)三月二十三日北桑田郡野々村樫原(現南丹市)より遷座、 国司大原雅楽頭社殿を造営、同年九月二十八日に遷座されたという。祭神は伊弉冉尊・天照大神・月弓尊、摂社に火之神神社・ 水門神社、鮭魚化身を祭神とする飛瀧奉社などが祀られている。
元亀・天正のころ(1570年代)、明智光秀の丹波攻めの兵火に罹り社殿焼失したが、明暦年間(1655殻8)に旧態に復す。 現在の社殿は綾部藩主九鬼氏累代の庇護により、寛政八年(1796)に再建されたもの。唐破風の龍の丸彫は天保三年(1831) 中井権次正貞の作、拝殿貫頭の絵様彫刻・兔毛通の鳳凰・持送りの菊の籠彫は天保八年正貞の父久須善兵衛政精中井丈五郎 正忠の作である。茅葺の絵馬殿は文久三年(1863)の再建で、舞台では浄瑠璃・農村歌舞伎等が演じられた。昭和五十九年に 本殿・幣殿・拝殿・絵馬伝が京都府有形文化財の指定を受けた。安産・万物生産の神として信仰を集め公卿諸侯の参拝も多く、 社記には公家清水谷家・北大路家・日野大納言家・宇和島藩主伊達家等の安産祈願が記されている。 大原神社に参詣することを「大原志」といい俳句の季語としても詠まれ、近松門左衛門の浄瑠璃にも採り上げられた。
川向にある「産屋」は古代の天地根元作りを模倣しており古事記の「戸無き八尋殿」を思わせる。産屋を神、先祖との連続した 魂の再生の場、聖なる時空とみて、内部の砂は「子安砂」として安産の信仰対象となっている。とはいうが、見方を変えれば 血を穢れとした時代の遺跡と見られなくもない。現在、京都府有形民俗文化財の指定を受けている。
【境内説明板より】


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