伯耆国-大神山神社




山陰の霊峰−大山の山麓に鎮座する、かつての山岳信仰の名残が色濃く漂う古社


大神山神社
遠く大山を見る ・ 荘厳な空気に包まれた参道 ・ 参道途中の鳥居 ・ 神門(後向き門)へ

拝殿へ ・ 拝殿と長廊 ・ 拝殿の神紋 ・ 下山神社の社殿

 
下山神社に見える亀井氏の紋 ・ 大山寺山門 ・ 大山寺本堂 ・ 桜の花と積雪が見事なコントラストを見せる大山
 

大神山神社は延喜式内社で伯耆国二宮、本社は鳥取県米子市尾高、奥社がに伯耆大山(別名 大神岳)の麓に鎮座している。 奥宮は冬季に祭祀が行えないため、山麓に冬宮(現在の本社)が設けられ、夏季には奥宮、冬季には本社で 祭祀を行うようになったのだという。祭神は奥宮が大己貴神、本社が大穴牟遅神で、どちらも名こそ違え大国主神である。
宮の鎮座する大山は、古来から神の住む山と崇められ、大神岳または大神山と呼ばれ、 古くから山岳信仰の修験場として、また神祭りの場とされてきた。大山信仰の始まりは、 およそ千三百年前まで遡り、社伝によれば養老二年(718)金連上人により「大山寺」が開創・創建された。 奥宮は大山寺の僧が修験のために大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりという。 創建年代は不詳だが、神仏習合の中で大山寺と大神山神社奥宮は勢力を拡大し、一時は大山僧兵三千人を数える勢力を誇った。 明治八年(1875)神仏分離令(廃仏毀釈)により、大智明大権現の社殿を大山寺から分離し、現在の大神山神社奥宮と改称され現在に至っている。 廃仏毀釈で急激に衰微した大山寺も明治三十六年に復興され、山岳信仰の霊場 として、中国三十三観音霊場の二十九番として多くの衆生を集めている。
境内は杉の老木が生い茂り荘厳な雰囲気が漂い、敷石を敷き詰めた参道は国内最長700mを測るものである。参道の両脇には にかつての繁栄を物語る平坦地と石垣址が広がり、和合の岩、金門・磨崖仏や後向き門などのみどころが点在している。 権現造りの本殿・幣殿・拝殿および末社、津和野藩主亀井公氏から寄進された下山神社本殿・幣殿・拝殿は 国の重要文化財に指定された貴重なものである。見るものを圧倒する本殿は神仏混交の様式をよく伝え、 権現造りの神社としては国内最大級のものである。
【神社パンフレット・境内説明板より】


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