家紋 倭文神社

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倭文氏?(神職詳細不明)



 「シズリ」「シドリ」と訓む。正嘉二年(1258)の伯耆国河村郡東郷庄下地中分図は、領家松尾神社と地頭原田氏が支配を折半したものとして有名である。この絵図には今もある東郷池の東に「一の宮」と記して社殿がスケッチされ、北方には「一の宮那志多」として三戸の家屋も描かれている。
 この一の宮が倭文神社で、社地を御冠山といい、祭神は倭文部を統率した倭文氏の祖、建葉槌命を主神とし、下照姫.建御名方命ほか四柱を配祀する。伯耆国の一の宮であることはいうまでもない。
 倭文とは、シズオリの意で織物の名、同名の神社は延喜式神名帳に、伯耆国川村郡の当社と久米郡に一社。ほかに、因幡・但馬・丹後や東海地方など計十四社がある。
 倭文社は延喜の制で小社、天慶三年(940)神位正三位に至る。神宮寺に竜徳寺があって僧坊・末社が多く盛大であった。しかし、戦国時代に衰え、そのうえ豊臣秀吉のいわゆる太閣検地の際に社領も没収された。江戸時代、鳥取藩主池田氏から崇敬され、黒印領が給せられた。
 境内にある経塚は史跡で、そこから出土した康和五年(1203)銘のある経筒・金銅仏像は国宝に指定されている。
【亀甲に花菱/中:丸の内に倭文文字】


   

[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]