家紋 美保神社

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横山氏



 美保神社は、「青柴垣神事」が有名な出雲国の宍道湖の西端の美保関にある神社である。
 祭神は、三穂津姫命と事代主神。ただし、この二柱の神が当初から祭神であったかという点に関しては疑問がもたれている。というのは、『出雲風土記』に美保郷に坐す神として大穴持命の子御穂須須美神命のみを挙げているからである。また、事代主神は『日本書紀』に美保関に遊行したことは記されているが、鎮座したことを窺わせる記述はない。おそらく、美保神社の祭神は御穂須須美神命であったものが、時代が下るに従い書紀神話の影響などから三穂津姫命と事代主神とされるようになったと、考えられている。
 創祀の時期は不明であるが、『出雲風土記』に美保神社の記述があることから、八世紀以前に遡ることは確実であろう。十世紀に編纂された『延喜式』にもその名が見えるが、その後は中世まで文献史料にはあらわれず、神階などには与らなかったようである。したがって、中世までの様子は不明だが、その地理的条件からみて、海上安全の神・漁業の神として周辺の信仰を集めていたことは、まず間違いなところだろう。

エビス信仰の本家

 中世、美保の地には海関が置かれたが、朝鮮との交易港、漁港としても栄えた。史料は少ないが、これによって美保神社も栄えたであろうことが想像される。また、事代主神はエビス様とも称されることは、よく知られている。エビスを信仰する夷信仰は、中世、港や漁業関係者から広まったといわれるが、美保神社が夷・恵美須信仰の対象となったのも中世以降のことであろう。
 永禄十二年(1569)、美保の地は尼子氏と毛利氏との戦場となり、美保神社も兵火に罹った。社殿はもとより、文書類などもすべて焼失したという。再建されたのは、文禄五年(1596)、富田城主吉川広家が朝鮮出兵に際して武運長久を祈願してこれを行ったという。
 江戸時代には、美保の地は日本海の西廻航路の風待ち港、漁港、藩の為替倉の置かれる地として、以前に勝るとも劣らぬ繁栄を続け、美保神社も、恵美須様として豊漁守護・海上安全の神また福神として人々の崇敬を集めた。なお、近世には、出雲国内の神社の大部分は出雲国造家か佐陀(佐太)正神主家かのいずれかの支配を受けていたが、美保神社は、どちらの支配下にも入らなかった。
 ところで、『古事記』の「国譲り神話」によると、アマテラス(天照大神)の命を受けて、タケミカヅチ(建甕槌神)が国譲りの交渉に出雲へやってきた。これに対してオオクニヌシ(大国主)は即答を避け、長男のコトシロヌシ(事代主)に判断を一任した。そのころ、コトシロヌシは美保の崎で鳥を狩ったり、魚を取ったりしている最中であったが、出雲国をアマテラスの子孫に差し出す決心をした。そして「天の逆子」をもって自分の乗っている船を青柴垣に変え、その中に姿をかくしてしまった、とある。  このことは、事代主が海の底に入って永く隠れたことを意味するともいわれる。いいかえれば、事代主は 国譲りに際して、嘆きのあまり美保の浦に入水して亡くなられた、ということなのだろう。「青柴垣神事」は、事代主の入水の故事を後代に儀礼化し、それを模倣した神事ということになる。いわゆる遺体捜索を起源とする鎮魂の形なのである。

変わらぬ祭祀の次第

 美保神社の神主職は中世以来横山氏が世襲したが、祭祀には独特の組織があることが知られている。氏子の中の「頭筋」と呼ばれる頭屋組織の中から「一年神主」を選び、祭祀の一部を行うという独特なものである。また、「青柴垣神事」では、同じく「頭筋」から選ばれるコトシロヌシの代わりとなる「頭家神主」が祭りの主宰者となる。ちなみに頭筋は十六の流れがあるといわれる。さきの一年神主は、青柴垣神事で頭家神主をつとめた体験者でなければならないとされ、年齢も三十三歳から六十歳までに限られているのである。
 一年神主は、くじで選ばれるが選ばれたとしてもすぐに神主にはなれない。最初の一年間は客人神社の客人頭家として、客人神社の頭家をつとめ、次の二年間は休番といって、仕える神はないが、潔斎とか物忌は欠かさず行い、四年目にして一年神主をつとめることになる。
 一年神主は、頭神主、客人頭家、休番などと同じく、毎日一度は、夜明けに「潮かき」つまり海の潮をかぶる行をはたす。それは一年神主になるまでの三年間、すなわち千日の行を引き続いて果たすことである。「青柴垣神事」の当日に天候が悪いと、それは一年神主の精進不足だったせいとされるほどに、一年神主は美保神社の祭祀に関わった職といえるものだ。
 また、美保神社のある美保関には、神事につらなる巫女の家すじがあり、それは奥市家とか宮市家とか、イチのついた苗字をもっている。イチは市子とかイタコとか、巫女をあらわす言葉である。
 美保神社の神紋は「亀甲の内に渦雲」という珍しい紋だ。亀甲は出雲地方に多い紋だが、なかの渦雲は、 祖神であるスサノヲミコトの新居に立ち上る瑞雲−八雲たつ出雲八重垣−をシンボライズしたものだという。 また、同神社の「青柴垣神事」の際に張られる幕や氏子の衣装などには「亀甲に三つ巴」、神船には 「亀甲に三つ引両」などの紋がみられる。
【亀甲に渦雲(文中:上=亀甲に三つ巴、中=亀甲に渦雲(神事の鉢巻から)、下=亀甲に三つ引両)】




   

[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]