家紋 尾張大国魂神社

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野々部氏


 大国魂とは国の守護霊(国魂)の意で、摂津の生国魂神社、武蔵の大国魂神社、陸奥の大国魂神社をはじめ、遠江の総社とされる淡海国玉神社などがある。
 尾張の大国魂神社は、大国主命の荒魂尾張大国霊神を祭神とし、国府にあって国府宮および尾張総社と称された。仁寿三年(853)官社に列し、延喜の制では小社、『国内神名帳』には「従一位国玉大明神」とある。
 その社領は、中世後期に百七十貫文があり、近世の黒印領は百五十石であった。
 尾張大国魂神社の例祀りは五月六日で、旧暦一月十三日の直会祭は、悪魔払いをはかる男子の勇壮な奇祭で、世に「裸祭」と呼ばれている。
 尾張大国魂神社の神主は、天背男命を祖とする中島海部直の後裔という中島連が務めた。系図によれば、清嗣は久田を称し、その孫元政が神主を務めたとみえる。以後、代々が神主を務め秀守に至って野々部を称している。その後、秀富のときに姓を橘としている。
 ところで、当社の権神主職に蜂須賀正光の名がみえる。清和源氏足利氏の一族斯波氏の後裔を称し、正光の父は小六正則であり、兄に小六正勝がいたことが系図から窺われる。蜂須賀小六といえば、豊臣秀吉に仕えて秀吉の覇業を援け阿波において近世大名となった、あの小六がいる。同じ、尾張国ということもあり、はたして同一人物だったのであろうか。
【竹輪に桐】


■神主野々部氏参考系図
   


[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]