家紋 大神神社

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大神氏


 遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ=大国主神に同じ)が、 自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山に鎮め、大物主神(おおものぬしのかみ)の御名をもって祀られたのが大神神社のはじまりと伝えらる。
 それ故に、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられており、わが国最古の神社としても知られている。また、大三輪之神(おおみわのかみ)として、大三輪に対して大神の文字を当て、神様の中の大神様として尊崇を受け、古来より、朝野の崇敬殊に篤かった。
 大神神社が鎮座する大和三輪の地は、古代日本文化発祥の地であり、政治・経済・文化の中心地でもあった。三輪山山麓を東西に流れる初瀬川の近くに、日本最古の市場である海柘榴市が八十のちまたとして開け、山麓を南北に走る日本最古の道「山の辺の道」とともに交通の要所となっていた。
 天平神護元年(765)には神封百六十戸を寄せられ、貞観元年(859)には正一位を賜った。延喜の制では名神大社に列せられ、祈年・月次・相嘗・新嘗祭には案上の官幣に預かり、また祈雨の幣にも預かった。大和一の宮となり、二十二社の中では第九位を占め、終始朝廷の厚い殊遇を受けた。
 江戸時代には、朱印地六十石のほか、大神神社に関係する神領百十五石を有した。
 祭神は大物主大神であり、配祀に大己貴神・少彦名神(すくなひこなのかみ)がある。

●大物主神

 三輪の神、大物主神について、文献における初見は、 『古事記』である。それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神がなくなられ、 独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を光して依り来る神」が あった。そ榴の神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、大国主神は、「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と問うたところ、その神は、「自分を倭の青垣、東の山の上に斎きまつれ」と希望した。
 つまり、大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山にお祭りした神が、 三輪の神であり、大神神社であることはいうまでもない。
 続いて、同じ『古事記』の神武天皇の段に、三輪の神は「大物主神」であることが記されている。また『日本書紀』には、同じ内容のことが書かれ、大国主神の別名である大己貴神が、協力者の少彦名神がなくなられたので、嘆き悲しんでいるところへ、 海を照らしてやって来た神があり、この神は、大己貴神の「幸魂・奇魂」であると言い、「日本国の三諸山に住みたい」と答える。 そして「この神が大三輪の神である」と記している。続いて『日本書紀』の崇神天皇八年に、大田田根子が三輪君族の始祖であり、三輪の神が大物主神であることが示されている。
 また、神体山である三輪山は全山が杉・松・檜等に覆われ、円錐型の秀麗な山である。千古より斧鉞を入れず、山中には苔むした神の憑代である奥津・中津・辺津磐座が現存している。特に山の中心をなす杉は「三輪の神杉」と称え、神聖視されている。杉の葉で丸く作られた「しるしの杉玉」は酒屋の標示として用いられ、酒造家の尊崇も篤い。いまでも、酒屋に行くと軒先に杉玉が下げられている光景に出会うことが多い。
●大神氏には上掲した「三本杉」の他に、「丸の内三つ輪」という独特な神紋も用いられている。

●大神姓三輪氏

 大神神社の大神主家は、大神姓で三輪氏であった。中世に至って、高宮氏と改めている。その祖は大国主命といい、大田々根子命の後裔と伝える。崇神朝に大神君姓を賜り、のちに三輪君に改め三輪氏を称するに至ったという。さらに降って、天武天皇八年高市麻呂のときに三輪君を改めて大神朝臣姓を賜った。高市麻呂の子忍人が大神大神主となり、かれの子孫が大神主を世襲した。
 系図の注記によれば、南北朝期の大神主家一族は、南朝方に尽くしたことが知られる。南北朝の内乱期になると、神官であっても兵馬の道を避けることはかなわなかったことがうかがわれる。ときの大神主勝房は、南朝方に伺候し、子の神二郎信房は阿倍野の戦いで討死している。信房の子為方も南朝に属しその子信重は北山御所に伺候し、子孫は伊勢北畠氏に属した。勝房の曾孫保房は高宮氏を称し、吉野北山で自害、その子神山四郎冬房も南朝として北山御所に仕えた。孫の神山徳房は伊勢南朝方の北畠氏に属し、伊勢で討死した。このように、一族の多くが南北朝の内乱に際して非業の死を遂げている。
 室町期以降は、嫡流は大神主として神事を務めたが、一族には武士となり、三好氏・北畠氏などに仕えている者もいた。大神主家は保房憩以降、高宮氏を名乗り、大神神社に奉仕し、子孫連綿して明治維新に至った。
 大神氏の一族としては、古代、宇佐八幡神を斎いた比義が知られている。その子孫は、宇佐神宮大宮司をつとめ、やがて、宇佐氏にとって替わられるまで長くその職を世襲した。また、九州大神氏としては、豊後介大神朝臣良臣の後裔を称する豊後の大神氏が知られ、その子孫からは、緒方・大野・阿南など中世武士が分出し、戦国時代には鎮西の戦国大名大友氏の軍事力の一翼を担っている。
【三本杉】




■大神社家大神氏参考系図





[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]