家紋 籠神社

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海部氏


 京都府宮津市にある成相山を背に、天橋立を前に望む景勝地に鎮座する。旧国幣中社で、丹後国の一宮。
 「籠」は「こもり」とよび、籠社または籠守の字を宛てることもあるが、現在は「このじんじゃ」と呼ばれる。籠は古代にはこれをコと訓だ。コは恐らく古代の竹籠製の船の意味であろう。籠をコモリと訓むようになったことから、祭神は天水分神とか、「み子守の神」とも称された。とはいえ、義彦火明命・豊受大神・天照大神・海神・天水分命を祭神とするともいうが、諸説がある。
 宮津市は旧与謝郡で、丹後国分寺にも近く、与謝の海に住む人々にとっては古来より守り神として信仰が厚く、累代の宮司家海部氏もその名のごとく、海民の祖を仰がれる家筋である。『延喜式』の名神大社で、祈年・月次・新嘗の頒幣にも預かった。これは、五畿以外の神社では例が少ない。
 その創建については、社伝に天照大神の伊勢御鎮座の途次、丹後国与謝郡の現地に四年間とどまられ、そのおりに丹後国の豊受大神が幽契によって御饌物を供進された跡であるという。また、祭神が籠に乗って雪の中にあらわれたので、社号としたとする伝承もある。
 養老三年(719)に現在の摂社(奥の宮とも)真名井神社の地から現在地に遷して義彦火あ明命を主祭神に、天照・豊受大神を相殿神とし、のちに海神・天水分神を併祀したという。嘉祥二年(849)従五位下、元慶元年(877)従四位上を授けられた。中世、神田は約五十町をかぞえた。  境内にある、摂社真名井神社は、伊勢外宮の元宮ともいわれている。
 例祭は4月24日で、葵祭の別称がある。神輿に供奉する者は藤花を冠に挿すのが習わしで、獅子舞・太刀振・笹囃しの奉納が行われる。太刀振の起源説として、貞観年代、籠明神が鉾立山大乗寺に天降り、神社に向けて鉾を振り悪霊を祓ったとか、国府の六斎市に橋立の文殊堂の池から竜神が現れて、悪疫神を祓ったので豊作を得た豊年祭であるともいわれる。丹後型の太刀振の中心をなすものとみられている。
 宮司海部氏の秘宝である『海部氏系図』は国宝に指定され、海部氏の古代の家系を示したものだが、 いわゆる竪系図といって紙を縦に継いだ古系図の一典型として知られている。その記事は承和十四年(847)で 終わっているが、その年代のころ、神位累進の記事が国史にみえている。その他、社宝に藤原佐理筆の扁額や 鎌倉時代の石造狛犬、神社の境内じゃら出土した経塚遺物などがあり、それぞれ重要文化財に指定されている。
【菊花】


■社家海部氏系図(国宝指定)
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[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]