家紋 枚岡神社

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枚岡連/水走/鳥居氏


 大和と河内・難波を結ぶ古代の主な道の一筋に生駒山脈を鞍部を通る暗峠越えの道があった。枚岡神社の北辺の道がそれで、東へ上ると暗峠に至るのである。枚岡神社の起源は、神武天皇東征のとき中臣氏の遠祖が祖神天児屋根命と比売神とを、この地の神津嶽に祭ったのに始まるという。しかし、この伝承は時代的に新しいものと思われる。
 とはいえ、枚岡神社が「元春日」とも呼ばれるように、奈良の春日神社創建の際、天児屋根命をこの枚岡神社から迎えたというのは、枚岡神社が由緒のある古社であり、中臣氏の重要な一拠点であったことを示している。こうして枚岡神社は、中臣氏ひいては藤原氏の氏神として、春日神社と並んでのち長く崇敬が加えられた。
 『延喜式』の神名帳には「枚岡神社四座」とあって、四座とも名神大社とされ、祈年・月次・相嘗・新嘗および祈雨の奉幣に預っている。祭神四座というのは天児屋根命・比売神・斎王神(経津主神)・武甕槌命で、宝亀九年(778)斎王神は下総の香取神宮から、武甕槌命は常陸の鹿島神宮から迎えて増祀したという。すなわち、春日神社創建後二十年目に春日と同体になったのである。なお、神津嶽から西北麓の現在地へ社殿を移したのはそれより古いことだが、神津嶽はいまも枚岡の神体山と考えられている。
 大同元年(806)六十戸の神封が寄せられ、貞観元年(859)には正一位の神階が贈られ、さらに同七年には春秋の枚岡祭に奉幣の制も定められた。
 神職は、中臣系の枚岡連で、のちに大中臣氏を称し、神主・物忌・禰宜・祝を世襲し、水走・鳥居氏などに分かれた。水走氏は中世に在地の武士団を統率して力があったことが知られている。降って近世になると、幕府から朱印領百石が寄せられた。
【下り藤】




■社務職水走氏 参考系図
   




[資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか]