雲のアイコン 神社小百科アイコン
神領・社領


 各地に神戸という地名があり、カンベ・コウベ・ゴウド・カムトなどと訓まれる。これらはいずれも古代の神戸があったところで、歴史的にはカンベと訓むのが正しい。また神田という地名も各所にある。神戸も神田もともに古代の神社の領地で、総称して神領といった。
 神戸というのは、中央政府によって各神社に寄せられた封戸のことで、戸は家族の集合体であり、それが神社に直属せしめられたのである。その戸口(家ごと)から租庸調、つまり税と労役とが神社に貢進提供されるのであって、『令義解』に、神戸の封丁は社殿の修造およびその他の雑事に役し、租と庸とは神社の祭祀料と神職の俸禄等に充用するとある。
 神戸が人を対象とするのに対し、神田は土地の領有形態である。とはいっても、神田は国家の公地(公田)をその神社に賃貸した地子田であり、厳密には私有地ではなかった。それがのちには半ば領有地として恒常化した。神田は御戸代田とも、神戸田地ともいうように、神戸の民または近傍の農民をして耕作させ、神社はおおむね生産物の二割を田租として徴収した。
 このように、神戸と神田とは神社の経済を支える収入源であり、従って神社が、神戸・神田を支配する形も生れた。また、神戸の数が一郡にわたって広く存在してたところを神郡といった。神郡はその郡の租庸調の大部分が、その神社の収入となったから、あたかも郡全体が神領のようであった。令集解・延喜式などから神郡を拾うと、
・摂津生田神社の神戸が神戸市へと発展した。

●主要大社と主な神郡

●伊勢神宮伊勢国度会郡・多気郡・飯野郡
●安房神社安房国安房郡
●鹿島神宮常陸国鹿島郡
●香取神宮下総国香取郡
●日前国懸神宮紀伊国名草郡
●出雲大社出雲国意宇郡
●宗像神社筑前国宗像郡 


などがある。伊勢神宮の神郡は、度会・多気・飯野三郡を道後三郡、員弁・朝明・三重三郡を道前三郡といい、これに安濃・飯高両郡を合わせて八神郡とも称した時代があった。

神領の変遷

 平安時代中期以降、全国的に荘園が増大したが、それに伴って従来の神戸・神田は次第に有名無実となっていった。そして、有力な神社は進んでそれを私有化しただけでなく、皇室や中央の権門勢家たちが自己の所有する荘園をこぞって社寺に寄進することも盛んとなり、各地に神社の荘園が成立した。
 神社の荘園のうち、やや特殊なものとして御厨・御園がある。御厨はミクリともいい、もとは神社経済を賄う台所を意味した。それがのちに神領をさすことばに転じた。とはいえ、史料的にみると御厨は、ほとんど伊勢神宮と賀茂神社とに限られている。そして、鎌倉時代初期の神宮雑例集によると、伊勢神宮の御厨・御園の数は全国で四百五十余処にわたったとあるが、同末期には千三百ケ処にも及んだことが知られる。御厨・御園からの供進物は米穀が主で、野菜・山菜・海草・魚介にわたった。賀茂神社の御厨も少なくないが、一般の荘園の方が多かった。
 賀茂神社をはじめ、春日神社・石清水八幡宮など、著名な大社はいずれも巨大な荘園を全国にわたって領有するようになり、これらは例えば「春日社領何々荘」などといい、社領と呼ばれた。社領から貢上される収入が各神社の経済を賄ったのである。
 社領は名目的には領地であるが、実際には一定の率に則ってその土地の生産物を収納するものであった。社領には武力はなかったので、鎌倉時代には社領保護のために、守護使の入部を禁じたりした。しかし、中世後期になると、在地の武士たちが社領を徐々に浸食し、さらに戦国時代には群雄によってその殆どが奪われていった。そして、これを決定的にしたのが豊臣秀吉の太閣検地で、社領はすべて没収され、代わりにいくばくかの所領(石高)を朱印地の名で別途に安堵されたのであった。
 近世における各神社の所領は、一律に幕府または大名から「与えられた土地」として保有し、そこから上がる年貢を主財源として神社の経済は運営された。太閣検地によって没収、整理された社領は、あとを受けた江戸幕府がそれを追認しつつ新しく配分するという形で成立した。幕府からは将軍の名において「社領安堵の証明書」が交付されたが、それには将軍の朱印が押されたため、「朱印状」といい、またその土地を朱印領(正しくは朱印地)と称した。
・住吉大社領であった播磨上鴨川に勧請された住吉神社

●主要大社の朱印領(石)

伊勢神宮42,000春日神社22,000日光東照宮10.000
石清水八幡宮6,757出雲大社5,000駿河東照宮3,000
賀茂御祖神社2,700住吉神社2,116鹿島神宮2,000
大宰府天満宮2,000宇都宮二荒神社1,700新宮惣社1,320
津島神社1,293金峰蔵王神社1,013香取神宮1,000
戸隠神社1,000諏訪(上下)神社1,000南社宮1,000
熊野三社1,000宇佐八幡宮1,000


 朱印状に対して、大名が交付する券状を「黒印状」と呼んだ。それは、大名の黒印が押されたからで、黒印状による社領は黒印領といった。
 このように近世における神社の財源は朱印領・黒印領であったが、有力な氏子や崇敬する町人・農民たちからの幣帛に代わる米穀・金銭の献納もあり、一般参詣人の賽銭も少なくなかった。また、著名な大社では、祭典などにあたって、朝廷・幕府・諸候から幣帛その他が奉納された。

時代の変革

 明治になると、神社に国家の特別な保護が加えられるようになり、社地は国有地ながら、法人としての神社に管理が委ねられるようになった。しかし、神社は公共性を有するところから、財産の保管.出納については、内務省もしくは地方官庁が監督することになった。そして、伊勢神宮のみは政府直轄として維持管理され、その他一般神社では、地方官庁などからの神饌幣帛料のほか、賽銭・祈祷料・寄付金などの収入があり、これが祭典費・維持費・神職の俸給などに支出された。また、官国幣社は国庫から供進金を受けていた。
 戦後は、神道指令によって、神社は国家管理から分離され、境内の国有地はその神社に譲渡されたが、一切の保護援助は打ち切られて自主運営に委ねられた。




[資料:日本「神社」綜覧(新人物往来社)/家系(豊田武著:東京堂出版刊)/神社(岡田米夫著:東京堂出版刊)]