豊受大神宮家の禰宜家で、天日別命を祖とし、垂仁天皇のとき、大若子が越国の賊を討ってその地を神宮に寄せた功により、伊勢国造に任じられ、大神主を兼ねて神宮に奉仕するようになったという。その弟乙若子の後の乙乃古の子から四流に分かれた。
初め石部(磯部)氏といったらしいが、単に神主ともいい、1001年神主貞雄・連信らが度会神主の姓を賜わって、子孫が大いに栄えた。檜垣・松木・久志本・佐久目・河崎・宮後の六氏は重代家と称され、さらに横地・川田・岩淵・赤畝・蒜田・吹上・大世古・村松・曽禰・松原・堤・出口・幸若などの諸氏を分出した。
鎌倉時代に外宮の地位を高めようと計り、宮司の大中臣氏を排し、内宮と争い、伊勢神宮を中心とする神道説を唱えた。
【花菱紋】
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