伊勢神宮の宮司の下で、実際の祭祀や事務万般を取り扱っていたのが禰宜であった。禰宜には初め荒木田神主・根木神主・度会神主の三姓があったが、根木神主は早くに絶え、平安時代中頃以降、内宮は荒木田氏が、外宮は度会氏が専ら奉仕するようになった。荒木田氏は天見通命を祖とし、垂仁天皇が神宮を創祀したときから奉仕したと伝えられる。
景行天皇の時、大貫連の姓を賜わり、成務天皇の時、神田開墾の功により新墾田の意味で荒木田神主の姓を賜わったという。十一世石敷の子の代から二流に分かれ、一門は度会郡小社曽禰に、二門は田辺に移った。ついで両門とも神宮の所在地宇治郷に移り住み、交代で禰宜職を世襲した。
一門からは沢田・井面・薗田、二門からは中川・世木・藤波・佐八の七流が分かれて、神宮家または重代家といい、さらに沢村・井向・家田・宇治などの諸氏を分出した。
【花菱紋】
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