地名は、国府の置かれた地域に多いところから、川沿いの市場を表わしたものとみられる。下総・甲斐・信濃・常陸・山城ほかにみられる。姓氏は、これによるが東日本に多い。源氏流の市川氏は「楓」を代表紋にしている。
■各地の市川氏の由来 ■桓武平氏 城氏流 東鑑治承四年八月條に「市河別当行房見ゆ。安田三郎、工藤庄司と共に鎌倉に属す。その男 五郎行重なり」と。又、甲斐国志に「東鑑に市川別当行房などあり。大石寺本曾我物語に、一河城小太郎と記せり。按ずるに城氏は、平維茂の後より出づ。然れば 後の市河氏と云う者は、本当は城氏にして平姓なりしにや」と。 ■佐々木流 家伝に「佐々木義清の後にして、甲斐国市川村に住せしより市川とす」と。 ■武蔵武田流 新編武蔵風土記多摩郡四谷村市川氏條に「家伝に云う、先祖市川別当太郎源忠隅入道梅印は、新羅三郎 義光の苗裔にて、甲斐国 八代郡市川上の宮に住す。因りて市川を氏とす。武田氏に仕えて戦死す、二男を忠次と云う、かれは故ありて小田原北条に属し、武州神護寺城主北条陸奥守 氏照の旗下となれり。北条家落去の後、兄 右近と共に民間に潜みこの地に来たり住し、ここを上の宮と云えり。本国の地名を取って名づけしとかや」と。 ■武蔵畠山流 久良岐郡市川氏は、宿村の旧家なり。畠山重保の庶流なれど家系焼失すと云う。 ■橘姓・源姓 家譜には橘氏にして、代々 甲斐国市川庄に住せしにより家号とすと云い、ェ政系譜には清和源氏義光流に収む。又、家伝に秋山光朝(清和源氏加賀美氏流)の後なりと云う。昌忠より系を起こす、家紋、丸に松皮菱、一葉楓。 ■他 入間郡市川氏(川越松郷)、藤右衛門は篤実なるものにて、村方の治方宜しく奇特なりとて領主大和守より永く苗字を名乗り、且つ 帯刀すべきことを許せりと云う。 ![]() ●左から/中輪に楓・四つ楓菱・丸に立ち楓・裏銭・三つ入れ子桝 |