安藤氏は斎藤・工藤氏と同じく、地名によらない姓氏だ。出自の主流は、奥州の大族安倍氏が藤原氏と融合した系である。他に同族の安倍氏でも都で活躍した安倍仲麻呂の後裔安倍朝臣が、鳥羽院から藤原姓を賜わったとする流れと、安芸国守護になった藤原氏が名乗ったとする系統がある。代表家紋は「藤」が中心となっている。
■各地の安藤氏の由来 ■津軽安藤 津軽安東氏に同じ。津軽安藤氏の宗家は、下国家と称す。 ■秋田安藤 安藤系図に「頼良−行任−則任(貞任の子、藤原清平子 惟平養子)−和任(貞任の末子、惟平養子となす)−季任(安藤太郎・本姓阿部氏、養父 藤原氏、二氏を合して安藤と号す、出羽奥州の安藤祖)−季俊−季信−季村−季長−季綱(安藤次郎、秋田住人)−季道(秋田安藤次郎)」と見えたり。秋田安藤氏は、後世 秋田氏と云い、庶流のみ安藤と云う。 *阿部貞任の頃(前九年の役1,060年前後)の親兄弟は、系図によって逆になっている場合あり。 ■三河藤姓安藤氏 陸奥阿倍氏の族ならんか、 家重−基能−直次−直治−義門−直清−直名−陣武−陣定−雄能−次由−■長┐ ┌――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └次猷−道紀−直與−直則−直馨−直裕−直行 明治 男爵 家紋、藤花輪、七引籠、下り藤丸の内に安文字。 *寛政系譜に支庶20家を載す 安東 ■津軽安東 下国(シモクニ)家なり、十三湊に拠る。安東師季 大光寺城に住せしが、その子 教季の時、文亀二年、南部氏に攻められ敗れて秋田に走る。 ■秀郷流藤原氏 豊後の安東氏にして、その記録を見るに「安東左衛門尉 常遠は、鎮守府将軍 秀郷の孫、千常の子なり。村上天皇の御代に召されて禁門を護衛す。天徳中、下野国に賊徒蜂起、国中逆乱の聞えあり、その時 勅許を待たず馳せ下り、藤原群雄と力を合わせ軍事を整え、夜半敵陣に攻め入り首将を誅し、残党を討つ。朝日現出の時に至りて全く戦功を得たり。一国平治の後、帰洛し、事の次第を奏聞す。天皇感じ入り(原文は「上叡感の餘」)、東国安泰の字を取り、苗字を安東に成し下さる。旭字を転して、幕紋に丸に九の字を賜う。これ朝日出現の時に至りて、戦功を得し証しなり」と。家紋、丸の内に九の字、糸輪に九の字。 ![]() ●左から/上がり藤・下がり藤・蔓巻き下がり藤に花菱・丸に七つ引き両 |