阿部(安部/安倍)氏

 阿部は「アベ」であるが「アブ・アンブ」と読む例もある。名字としての漢字の違いは出自に由来するが、混同されることも少なくない。現在、阿部氏が約二十万、安部氏が約五万、安倍氏は約八千とされている。
 阿部一族は、孝元天皇の皇子大彦命の子孫と伝えられる神話時代からの豪族。大和国十市郡阿部の発祥とされる。阿部は正しくは「あえ」と訓み「饗」の意で、天皇の御膳係を職掌としたことからきているともいわれる。いずれにしても、天皇の身近に仕えた古代の有力氏族だった。この流れからは飛鳥時代末期、左大臣となった倉梯麻呂、奈良時代の派遣唐留学生仲麻呂らが出ている。
 平安時代中期の陰陽家・安倍清明は天文博士となって朝廷に仕え、子孫は公卿に列して土御門家となった。その分家に倉橋氏がある。
 武門の豪族・陸奥安倍氏は「前九年の役」で、貞任・宗任兄弟が源頼義に敗れた。貞任の子が陸奥国津軽郡藤崎に逃れ、安東・藤崎・安藤を称した。その安東氏の後裔が戦国大名秋田氏で、徳川に仕えて岩城三春藩主となった。また、讃岐の安部氏は、伊予に流された安倍宗任の直系だという。
 他流では、駿河国安倍郡安倍谷発祥の安倍氏は、諏訪神家と滋野氏の流れ。幕末の老中阿部正弘は三河の阿部氏だ。
 代表家紋は諸家とも「違い鷹の羽」。ほかに阿部梶の葉、六分銭、安倍清明判など。



●左から/丸に違い鷹の羽・阿部銭・丸に梶の葉・安倍晴明判・石持ち違い鷹の羽