竹中氏
九枚笹
(清和源氏土岐氏流)

 竹中氏は清和源氏支流とされる。しかし、どのような系譜になっていたかは明かではなく、半兵衛重治の祖父にあたる重仲あたりからはっきりしてくる。
 重氏の子が重元で、「斎藤道三に属し、美濃国不破郡岩手の城主岩手某と戦ひ、終に其の城を攻落しこれに住し、また同国菩提山に城を築き、六十貫文の地を領す。永禄三年二月に死す」と古書にある。戦国大名斎藤氏の重臣であったわけだが、竹中氏の名前を有名にしたのは、その子重治である。半兵衛の名で知られる。
 彼は、信長が美濃に侵攻してきたとき、斎藤龍興を見限って信長に属し、信長の命で秀吉に仕えることになった。智将の名をほしいままにしたが、天正七年、播磨三木城の攻囲中に病死してしまった。
 その子が重門で、父の死後、秀吉に仕え、天正十七年には美濃国不破郡において、五千石の所領が与えられ、のちに加増されている。関ヶ原の戦いのとき、重門は、はじめ西軍に属し、犬山城守備軍として同城に入っている。のちに東軍に内応し、関ヶ原当日は東軍として戦った。
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■参考略系図