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前野氏
丸に違い鷹の羽
(良峯氏流)


 前野氏は良峯氏の系統になる。二宮大宮司家の原高成の子高長が尾張国丹羽郡前野村に住んで、はじめて前野氏を称したと伝えられている。
 高康のとき尾張守護代織田伊勢守敏広に仕え、以来、代々伊勢守系織田氏の家臣として戦国時代を迎えている。
 戦国期の当主が宗康および長康で、長康の室は坪内勝定の女である。長康のことを坪内勝定としているものもあるが、誤りである。長康は小右衛門(のち将右衛門)といい、受領名は但馬守であった。はやくから秀吉に仕え、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦い、翌十三年の四国征伐などで軍功をあらわし、但馬国出石城主となり、五万石を与えられている。
 のち、天正十八年の小田原征伐のときには伊豆韮山城攻めに加わり、文禄の役には朝鮮に渡り、京城にまで進軍している。
 ところが、文禄四年(1595)、豊臣秀次事件に連座して改易され、長康自身も切腹させられ、子景定も同じく切腹させられ、この系統はここで断絶してしまっている。

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■参考略系図