国分氏
月 星
(桓武平氏千葉氏流)


 国分氏は頼朝の奥州征伐に従った千葉介常胤の五男胤通を祖とし、戦功により国分荘および名取郡において知行を得て同地の地頭となった。国分荘とはいまの仙台市東部、泉市の地方をいう。
 十代盛忠は宮城・名取・黒川三郡の主政に補せられ、その子盛行は東国擾乱に百戦百勝、その勢いは関左に震ったと伝えられている。
 「余目記録」のなかに国分氏を「小山より長沼あい分かれ、なかぬまの親類」とあり、小山流藤原氏の同族と記されている。これは、鎌倉期に平姓国分氏が没落し、代わって藤原姓国分氏が跡を継いだと考えられる。
 十六代盛顕には子がなく、伊達晴宗の子盛重が迎えられて、国分氏十七代を相続した。以来、伊達体制のなかに組み入れられた。その後盛重に叛心ありとして伊達氏に追放された。

もっと読む


■参考略系図