木曽氏
九曜/笹竜胆
(清和源氏義仲流)


 木曽氏は清和源氏で源義賢の子義仲が、木曽に住んで木曽氏を称するようになったのである。義仲の二男義基の子孫が戦国時代に名をあげている。
 戦国時代を迎えるのは義元のあたりからで、その段階ではまだ飛騨の三木氏と戦うぐらいであったが、義康の代になると武田信玄の圧迫を受けるようになり、彼は小笠原氏・村上氏、さらに諏訪氏らと同盟を結んで信玄に対抗している。しかし、信玄の軍は木曽に侵入し、義康は和議を申し出ている。この信玄の来攻のとき義昌は福島城を守って対抗したが、信玄に降り信玄の娘を正室に迎え、武田一族となって信玄・勝頼の甲信支配の一翼を担っていったのである。ところが、天正十年の織田信長による甲斐武田攻めのとき、勝頼に背いて信長に属し、本領のほかに安曇・筑摩の二郡を与えられている。
 義昌の子義利は、下総国阿知戸において一万石を領したが、のちに改易となった。これで木曽氏の嫡流は断絶してしまった。庶流家が馬場氏を称し、幕臣となっている。

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■参考略系図