蒲池氏
三つ巴
(藤原北家宇都宮氏流)


 宇都宮姓で、朝綱の弟久慈(久則)が、応永年間に筑後鹿待郷蒲池に居住して、蒲池氏を称したとも、公綱の弟泰綱の後裔ともいう。代々筑後守護大友氏に属し、山下城を本拠とし高一気衆といわれる筑後武士団のうち、二十四城持大名の旗頭であった。
 久憲の子の代で二家に分かれた。すなわち鑑久の系統が下蒲池に、親広の系統が上蒲池と名乗った。下蒲池鑑盛・鎮久父子は、大友氏との義を重んじ、天正六年(1578)日向耳川で島津軍と戦い戦死した。しかし、次子鎮漣は耳川出陣の途中で帰り、その後竜造寺氏の筑後計略を案内し、上蒲池家を攻めて降伏させた。しかし、竜造寺氏の上蒲池家への降伏条件を不満とし、島津氏と通じ竜造寺氏の軍と戦っている。その後、竜造寺の謀略によって、一族とともに滅ぼされた。
 上蒲池家の鑑広・鎮運父子は竜造寺氏に従い、さらに豊臣秀吉の九州征伐には、立花道雪に属し、山下郡のうち二百町を与えられた。鎮運の後を継いだ鎮行は、関ヶ原の合戦で西軍に属して没落、黒田氏の家臣となった。

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■参考略系図