銭 紋
真田氏の六文銭があまりに有名。
真田氏一族が使用する仏教に関わりの深い紋である。
六連銭 無文銭 銭九曜 波銭

 古代、信濃国に滋野氏と称する豪族がいた。滋野氏は信州の牧を管理することで勢力をつちかい、 庶子を勢力範囲の土地に配して信州の雄族となっていった。後世、その嫡流は海野氏を名乗り、源平合戦の際には木曽義仲に属して、平家追討に活躍した。滋野氏流海野氏からは、望月氏・禰津氏・真田氏らが分かれ、さらに会沢・塔原・田沢・矢野・岩下などの諸氏が分出した。なかでも、武田信玄に仕えて頭角をあらわし、武田氏が勝頼の代に滅亡した後は自立して戦国大名となった真田氏が有名である。
 真田氏の家紋は世に「六文銭」として知られ、真田一族の代名詞ともなっている。六文銭は仏説六道銭からきたもので、六道を導いてくれる六地蔵へ供えるための死者の棺に入れた。人が死んだとき、死者が三途の川を渡るときの渡し賃としてもたしたものだといわれる所以でもある。六連銭紋は中世に盛行した地蔵信仰に基づき、仏説六道銭を紋章化したものであった。また、むかしの信濃国は山国で生活がきびしく、生まれた子を育てることができず水子に出したことも少なくなったようで、六文銭は哀しい親たちが流した子供たちに持たせたものであっただろうか。真田氏は戦場という死地に行くとき、死者にもたせる哀しい六文銭を旗印とした。 六文銭の紋のあるところ、死を恐れない猛兵がいたのであった。
六連銭  六連銭が登場したのは『蒙古襲来絵巻』で、城次郎が六連銭の旗を翻したと記されている。その後、北信濃の国人衆が新守護小笠原長秀に抵抗した大塔合戦の顛末を記した『大塔軍記』にも連銭紋の旗の記述がある。合戦には海野一族も参加しており、おそらくかれらの旗印であったと思われる。戦国時代、越後から関東に出陣した長尾景寅(上杉謙信)が遺した『関東幕注文』には、箕輪衆のうちに羽尾修理亮、 大戸中務少輔が「六れんてん」とみえる。れんてんとは連銭のことで、両氏とも海野一族である。
 真田氏の「六文銭」紋が有名になったのは、真田昌幸が上田城に拠って徳川氏の大軍を二度にわたって退けたことと、大坂の陣に昌幸の子幸村(信繁)が徳川軍の攻撃をよく防ぎ壮烈な討死をとげたことによるものだろう。 逆に、徳川氏にとっては「六文銭紋」は、いまいましい家紋であったに違いない。
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写真:茶臼山に立てられた真田六文銭の旗

 ところで、真田氏は六文銭の他に「雁金」「洲浜」も用いていた。雁金の紋は信濃でよく見られる紋であり、洲浜は海野氏が信仰した白鳥神社の神紋であった。 このように、家紋は信仰に根ざし、それを一族の拠り所としたことが理解できるのである。
 加えて、徳川氏に仕えた安部氏が「六文銭」を用いており、安部氏は海野氏の一族という。しかし、神氏の後裔とも称して、神氏の代表紋である「梶の葉紋」も併用した。これは、安部氏の出自に関する二つの説と家紋とが符合したものといえよう。 このように、家紋をみることで、その先祖が想像されるのである。
 真田氏の六文銭のほかに銭紋としては、「永楽通宝」紋が有名である。永楽通宝は明の貨幣で室町時代に多く輸入され江戸時代初期まで流通した。これほど長く重用されたことから、年貢米の高を永楽銭に換算した「永高」という言葉も生まれた。そして「永楽」というめでたい銭文から、家紋に採用されたようだ。『羽継原合戦記』には、尾張の水野氏の家紋としてみえている。戦国時代になると織田信長が旗の紋として用いた。 しかし、のちに水野氏は「立ち沢瀉」紋を、織田氏は「木瓜」紋を用い、こちらの方が有名になった。
 さらに、銭紋としては、は真田氏の六文銭のほかに、尾張から出た水野氏の「永楽通宝銭」、徳川家に仕えた青山氏「無文銭」などが知られている。

 また、『見聞諸家紋』には、長氏の「銭九曜紋」が記されている。長氏は鎌倉時代より能登に勢力をつちかった豪族で、戦国時代には七尾城主畠山氏の重臣として活躍した。諸家紋にみえる長氏のものは、中央の星のみが銭形だが、のちにはすべて銭の九曜紋となっている。 長氏は畠山氏滅亡後、織田信長ついで前田利家に仕え、江戸時代は前田氏の家老をつとめた。
青山紋  その他、江戸時代になると「永楽銭」紋を織田、仙石、水野の諸氏。「寛永通宝紋」を福島氏が用いた。一方、譜代大名の青山氏が、有名な「青山菊紋」のほかに「無文銭紋」を使用している。 ちなみに、青山氏が治めた丹波篠山にある青山神社の神紋は「無文銭」である。
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写真:丹波篠山城内の青山神社にて
銭紋を使用した戦国武将家
青山氏 海野氏 鎌原氏 真田氏 長 氏

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
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