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橘 紋 橘は蜜柑の原種で、源平藤とならぶ 日本四大姓のひとつである、橘氏の代表紋となっている。 |
![]() 橘 |
![]() 丸の内橘 |
![]() 井桁の内橘 |
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橘は蜜柑の原種で、その香は古代人にも尊ばれた。垂仁天皇のころ田道間守が、不老不死に憧れた天皇の命令で常世の国に往き、持ち帰った「トキジクノミ」が橘とされ、我が国に到来した最初であった。橘は、木の姿が凛としていることから太刀花とも称された。 奈良時代、元明天皇に仕えた県犬養美智代という美女がいた。美智代は天皇から大変愛され、橘の姓を賜り橘美智代と後に名乗った。美智代は橘姓が一代で終わることを惜しんで、我が子にその姓を伝えた。すなわち橘諸兄こそその人であった。そして、この諸兄から橘氏は始まったのである。
その後、美智代は藤原不比等に再婚し光明皇后を生んだ。いま、源平藤橘と称される四大姓のふたつに美智代は関わったのであった。ところで、橘諸兄が橘を紋としていたとは思われないが、その子孫を称する家々は、シンボルとして橘紋を用いたようだ。とはいえ、四大姓のなかでは振るわなかった橘氏であったために、他氏が橘紋を用いることも多く、橘氏の代表紋ともいえないようである。 近世大名で徳川四天王の一人と称された井伊氏も橘紋であった。井伊氏は藤原氏の後裔を称しているが、その祖は井戸から生まれたと伝えている。そして、その手には橘が握られていたことから「井桁に橘」を紋とするようになったという。これは、おそらく橘氏から養子をとったことをそのように仮託したものと思われるのである。時代が下ると、井伊氏は井桁と橘を別々にして、それぞれを紋としている。 井桁に橘紋は、日蓮宗の寺紋としても知られている。これは、宗祖日連が井伊氏の一族であったことによるものである。 出雲の戦国大名尼子氏に仕え、その滅亡後主家再興に命を懸けた戦国武将山中鹿介は橘紋であった。山中氏は佐々木氏の分かれともされて四つ目結を家紋とするものもある。しかし、鹿介の山中氏はその家紋からみて橘氏流の山中氏であろうと思われる。ちなみに、近江国の土豪に山中氏があり、橘氏流であった。戦国後期に秀吉に仕えて一万石を領したが、のちに没落した。鹿介はこの一族ではなかったか。 このように橘紋は、橘氏のシンボルとされ、その後裔が多く用いたようだが、異流の家も多く用いている。とはいえ、橘紋を使用している家は、橘氏となんらかの縁りがあったものと想像されるのである。 【垂仁天皇陵によりそうかのような田道間守の墓(2007-11/03)】 |
