橘 紋
橘は蜜柑の原種で、源平藤とならぶ
日本四大姓のひとつである橘氏の代表紋とも言われるが…。
菊座橘 井桁の内橘 頭合せ三つ橘

 橘は蜜柑の原種で、その香は古代人にも尊ばれた。垂仁天皇のころ田道間守が、不老不死に憧れた天皇の命令で 常世の国に往き持ち帰った「トキジクノミ」が橘とされ、我が国に到来した最初であった。 橘は、木の姿が凛としていることから太刀花とも称された。
田道間守  奈良時代、元明天皇に仕えた県犬養美智代という美女がいた。美智代は天皇から大変愛され、橘の姓を賜り橘美智代と 名乗った。美智代は橘姓が一代で終わることを惜しんで、我が子にその姓を伝えた。すなわち美奴王との間に生まれた 葛城王で、葛城王は弟の佐為王らとともに橘姓を継ぎ橘諸兄と名乗った。そして、この諸兄から橘氏は始まったのである。 その後、美智代は藤原不比等と再婚して光明皇后を生んだ。いま、源平藤橘と称される四大姓のうちのふたつの姓に 美智代は関わったことになる。
 ところで、橘諸兄が生きた時代に家紋は存在せず、諸兄が橘を自らの印にしていたという記録はない。しかし、その 子孫を称する家々は、橘氏のシンボルとして橘紋を用いたようだ。とはいえ、四大姓のなかでは振るわなかったために、 他氏で橘紋を用いる者も多く、橘氏の代表紋とは言い切れないようである。

写真:垂仁天皇陵によりそうかのような田道間守の墓(2007-11/03)

 橘を家紋とする武家で知られるのは遠江国井伊谷から出た井伊氏で、戦国時代の井伊直政は徳川四天王の一人と称され、子孫は彦根藩十五万石の大名として続いた。井伊氏の祖共保は井戸から生まれたという伝説上の人物で、共保は生まれたとき、その手には橘が握られていたことから、井伊氏は「井桁に橘」を紋とするようになったのだという。井伊氏は藤原氏の後裔を称しており、共保の伝承は橘氏から養子をとったことをそのように語り伝えたものであろう。 
 後世、井伊氏は「井桁」と「橘」を別々にして用いており、『見聞諸家紋』に見える井伊氏の紋は筆勢のある井の字となっている。おそらく、井伊谷の井を取って旗紋とし、先祖伝承とあいまって「井桁に橘」紋が創出されたと考えられる。この「井桁に橘紋」は、日蓮宗の寺紋としても知られている。それは、宗祖日連が井伊氏の一族貫名氏から出たことにちなんだものという。
 戦国時代、土佐東部に勢力を誇った安芸氏が橘紋を用いた。安芸氏は壬申の乱で土佐へ流された蘇我赤兄の後裔と伝えられ、
 橘紋を用いた戦国大名は、土佐の安芸郡から起った安芸氏が知られる。安芸氏は壬申の乱で土佐へ流された蘇我赤兄の 後裔と伝えられ、土佐七雄の一人に数えられたが長曾我部氏と戦って敗れ滅亡した。『見聞諸家紋』には、安芸氏を はじめ、長曽我部氏、新開氏など四国の諸将の家紋が収録されており、安芸氏の家紋は「三つ割剣花菱」が 記されている。また、諸家紋には播磨の小寺氏の「橘に藤巴紋」、薬師寺氏の「丸の内三本橘紋」が収録されているが、 いずれも橘氏の系譜に連なる武家ではなく、橘紋が出自に関わらず広く用いられていたことが分かる。

■ 見聞諸家紋にみえる諸紋

左から:井伊氏の井の字 /小寺氏の橘に藤巴 /薬師寺氏の三本橘 /安芸氏の三つ割り花菱

 一方、近江国から起った山中氏は橘姓と宇多源氏佐々木氏流とがあった。橘姓山中氏は、甲賀二十一家の随一と称され、近江守護六角氏に仕えて勢力があった。六角氏が没落したのち、秀吉に仕え右筆として活躍、一万石を領する大名になった。宇多源氏佐々木氏流山中氏からは、出雲の戦国大名尼子氏に仕え、その滅亡後、主家再興に命を懸けた戦国武将山中鹿介が出た。鹿介は家紋として佐々木氏流を示す「四つ目結紋」を用いたが、ほかに「橘紋」も用いたといわれる。鹿介の山中氏は出自に曖昧なところがあり、橘紋をも用いていたことから甲賀山中氏一族ではなかったか、とする説もある。しかし、橘紋そのものが橘氏を代表するものと断言できないだけに、鹿介の出自を家紋から探るのは難しそうだ。  
 橘氏流の中世武家としては、肥前国長島庄を領した渋江氏も忘れられない存在だ。系図によれば橘朝臣好古の後裔とも、遠江掾橘遠保の子孫ともいう。渋江氏ら肥前橘一族が氏神として崇敬した潮見神社の神紋は「橘」で、肥前橘一族も橘紋を用いていたようだ。渋江氏の場合は、家紋が家を表した好例といえそうだ。
 江戸時代の大名・旗本で橘紋を使用した家としては、彦根藩主の井伊一門のほかに久世氏・肥前島原藩主深溝松平氏ら の大名家が替紋として用い、藤原流の村上・篠瀬・久保氏、橘流の紅林・薬師寺氏ら九十余家に及ぶ旗本が橘を定紋としていた。
 橘紋は橘氏のシンボルに凝らされ、橘氏流を称する家が多く用いたようにいわれるが、必ずしも橘氏の専用紋とはいえず異流の家も多く用いていることが知られる。いま、橘紋を使用されている家の場合、まず橘氏となんらかのゆかりがあるのではと想像したいところである。 しかし、軽々に結論を急ぐのではなく、じっくりと調査をしてほしいものである。

橘紋を使用した戦国武将家
安芸氏 雨森氏 井伊氏 渋江氏 高城氏 立原氏
中村氏(肥前) 真壁氏 宮部氏 山中氏(近江)

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
家紋の由来にリンク 家紋の由来にリンク


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