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雁金紋 信濃の豪族滋野氏、清和源氏頼季流の信濃源氏が家紋として使用した。 信州に多い紋である。 |
![]() 雁金 |
![]() 結び雁金 |
![]() 尻合せ三つ雁金 |
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雁は昔から「幸せを運ぶ鳥」として知られていた。また、雁書という言葉がある。これは中国・漢の武帝の時代、西域への使者となった蘇武の故事にちなむもので、蘇武は凶奴に捉えられ、異郷にあること十数年、羊飼いをしながら我が身が無事であることを雁に託した。そして、ついには漢土に還ることができたのであった。このように雁は幸せを運ぶ鳥として好まれた。 秋の空を一筋に飛んでゆく雁の姿をみると、たしかに、遠くに住む懐かしい人に手紙を運んでくれるようにも見えてくる。 「源平盛衰記」に、平家方の武将・薩摩守忠度が遠雁の紋を打った鞍を用いたとある。また、「一遍上人絵巻」「紫式部日記」などにもこの文様が出ている。これらから家紋に転じたのだろう。 雁紋は、雁金紋とも呼ばれ、信濃の古代豪族滋野氏の一族が用いた。また、清和源氏頼季流で信濃に勢力を培った井上・赤井などの諸氏も用いた。このように信濃の豪族が家紋に用いたことから、いまでも信州によく見かけられる家紋の一つである。 戦国時代、備前国に清和源氏足利氏流を称した花房氏がいた。花房又右衛門が播磨灘を船で通ったとき、海賊に襲われ、弓矢をもって防いだが、矢をきらして進退窮まった。その機に乗じた海賊は船を寄せて花房の船に乗り移ろうとした。そのとき、最後の雁又の矢で海賊の大将の首を射抜き、勢いにひるんだ海賊に「われは花房又右衛門ぞ、雁金紋に雁又矢、これぞ天下の珍高ぞ」と大音声でよばわった。その勢いに恐れた海賊たちは、以後、瀬戸内海を通る「雁金紋」を付けた船は襲撃しなくなったという。 雁金は戦国武将で秀吉に敗れた柴田勝家の紋としても知られる。勝家の紋は「二つ雁金」で、浅井氏滅亡後、未亡人となったお市の方を娶り、越前の北の庄城に拠ったが、信長没後の覇権を秀吉とあらそって滅亡した。いまも、越前では二羽の雁をみると、勝家とお市の方が戻ってきたと言い交わすという。こちらの雁紋は幸せにはほど遠く、哀しい。 |
