戦国城跡を歩く

・2007年12月08日


登り口から城址方面を見る

筒井氏の隠れ城、椿尾城





椿尾城は大和郡山市筒井にある「筒井平城」に対して、筒井氏の「山の城」として知られる。城址は奈良東方の山中にあり、縄張りは南北に通る道を境として東西に分かれ、東側が字「本丸」、西側が字「二の丸」と呼ばれている。はじめ本丸側を筒井順昭が築き、のちに筒井順慶が二の丸を増築したものとされ、松永方との抗争時、在城していたことが知られる。薄暗い二の丸跡を歩くと、崩落跡が目につくものの土塁・堀切り_石垣などが散在しており、なかなか見応えのある城址だ。本丸側も植林が施されているが、曲輪・堀切り・土塁などが残り、主郭には朽ち果てんとする神社が祀られている。



現在の椿尾城からは、まったく展望がきかないが、往時は国中方面が見渡せたものと思われる。筒井氏は越智党、松永氏などの戦いに敗れるたびに、東山内に奔って再起をはかった。城址を歩くと、背後の守りは東山内の福住氏にゆだね、椿尾城の防御の主眼は奈良方面からの敵におかれていたことがよく分かる。とはいえ、山中のさらに山中という地にある椿尾城は、いかにも筒井氏の「山の城=隠し城」というに相応しい城といえそうだ。とはいえ、お世辞にも整備されている状態とはいえず、大和の歴史に大きな足跡を刻んだ筒井氏の城址だけに、早急な整備を望みたいところだ。