戦国山城を歩く

・2007年5月5日


城址案内図に描かれた縄張り

龍野古城に登る



龍野古城は籠鶏山と呼ばれる山頂にあり、戦国時代はじめの明応八年(1499)、赤松氏の一族赤松村秀によって築かれた。以後、四代八十年にわたって赤松氏が城主であったが、豊臣秀吉の播州征伐後、赤松氏は但馬竹田城へと移り住んだ。その後、龍野城主は豊臣恩顧の武将が代わる代わるつとめたが、慶長のはじめ(1598ごろ)山頂の古城は取り壊され、麓に新たに城が築かれたという。大手道から本丸をめざすと、土塁や掘切などが点在し、本丸近くの曲輪には矢竹がいまも繁っている。




本丸近くになると崩れた石垣が目立つようになり、本丸に達すると、意外な広さで地表には往時のものと思われる瓦片が散在している。さらに、驚かせるのは、本丸下に残る八幡宮の跡である。社殿こそ朽ち果てて残ってないが、当時のままであろう見事な石畳が続いている。




本丸をあとに下山、あちこちに石垣、堀切りが散在。樹木の間からは龍野の町が遠くに見え隠れし、樹木がなければ遠くまで望める、なかなかの要害の地であったことが実感できる。江戸時代になると、龍野は脇坂氏が治め、小京都とよばれる町となった。現在、脇坂氏時代の城が復元され、瓦などには脇坂氏の家紋「輪違い」「桔梗」が刻まれている。