篠山の歴史・見処を訪ねる-追入神社








神社が鎮座する追入集落は、古来より但馬・氷上方面と摂津を結ぶ重要な街道筋で、宿駅として大いに繁栄し本陣も存在した。「追入」という地名は、地元では山地の奥まったところにちなむといわれるが、一つの面白い伝説が伝えられている。「むかし、一人の神様が鐘を盗んで逃げ、それを別の神様が追っかけた。鐘を持った神様は峠を越して氷上郡の小倉まで走ったところで、追う神様は坂の下まで来たときに朝を迎えた。二人の神様は、それぞれ朝を迎えた場所に鎮座し、追っかけた神様を祭る神社を「追手神社」という。小倉の神様は刈野神社といい、鐘を持って越えた山を「金山」、また越えた坂を「鐘が坂」というようになった」というものである。刈野神社はのちに追入に迎えられ、いまの「追入」神社になった。(多紀郷土史考より)神社の南すぐのところに、明智光秀が築いた金山城址への登り口がある。