淀山城址に登る

・2007年2月10日



デカンショ街道(京街道・篠山街道)沿いにある波々伯部神社は、祇園社の末で中世波々伯部氏と関係の深かった神社である。本殿にめぐらされた幕には、波々伯部氏の家紋でもある「松喰い鶴」 が据えられている。波々伯部神社の東方にある小山に、戦国時代、この地に割拠していた波々伯部氏宗家の居城である淀山城址がある。





道なき道をブッシュをかき分けながら登っていくと、堀切り、曲輪の跡があらわれる。さらに登ると、主郭には子孫によって明治十三年に立てられた石碑があり、そこが本丸であったことが知られる。城址の東方には溜め池があり、そこから用水が山麓をめぐっているが、往時の壕跡であったのか否かは知ることができなかった。