日置小学校の隣に鎮座し、承平三年(933)に京の石清水八幡宮よりご分霊を勧請したことにはじまる。末社50社とともにお祭りしたので五十宮とも、水辺すなわち磯にあったのでその名がついたと伝えられる。領主・武将の信仰を集め、九州落ち途上の足利尊氏が参拝したことは有名である。戦国時代になると八上城主波多野秀治が崇敬を寄せ保護を加えたが、天正七年(1579)、明智光秀の丹波攻めの兵火によって焼失した。その後、再建され、神宮寺にあった四天王のうちの木造持国天立像と木造多聞天立像は、国の重要文化財に指定されている。
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