多紀連山は多紀アルプスとも呼ばれ、京都府から篠山市、さらに丹波市まで、500から700メートルの山々が連なっている。これらの山々は、平安時代末期から中世にかけて修験道の行場として栄え、大岳寺・福泉寺などが甍を競っていた。ところが、文明十四年(1482)大峰山の僧兵が襲来、寺院はことごとく焼失してしまった。現在、多紀連山は県立自然公園に指定され、鉱山植物・山野草・鳥獣も多く、登山道も整備されている。四季を通じて様々な表情を見せてくれる多紀連山は、修験道で栄えた厳しい歴史を秘めつつ様々な楽しさを与えてくれるところといえそうだ。ちなみに「タワ」とは「山偏に定」と書き、撓むの当て字で山の稜線の凹んだところを言う。(大タワの説明板より)
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