篠山の歴史・見処を訪ねる-32


八百里城跡








瀬利から奥畑に抜ける道の左側にある八百里山の山上にあった。八百里山は神奈備山として崇敬されただけに、まことに優美な形をしている。城主は畑氏で、南北朝時代はじめの延元元年(1336)に畑能道が築城、以後、畑氏代々が居城とした。天正七年(1579)、城主の畑牛之丞守能は波多野氏に属して明智軍に抵抗、五月初めの激戦で城は落ち、守能の長男守国二男能国は戦死した。